|
テーマ:暮らしを楽しむ(385313)
カテゴリ:教授の読書日記
広島市現代美術館で開かれている「マネー・トーク」という展覧会を通じ、この美術館に収蔵されている代表的な美術品の購入価格を一通り見て、色々感慨を得た、という話は先日しました。 で、それに触発されたわけでもないのですが、つい先日、池田満寿夫の書いた『美の値段』(光文社)という本が私の「池田満寿夫・エッセイコレクション」に入ることになったので、これも何かの符号かと、ついつい一気に読んでしまいました。 ま、この本はそのタイトルからもわかるように、そもそも芸術作品たる絵に値段がついて市場に流通するとはどういうことか、ということを、芸術家サイドからの体験談も含めて語ったもので、私自身、細々と絵や版画を購入することもあるものですから、その意味でも非常に興味深いところがありましたね。 で、この本を読んでいて、「へえ、そんなもんかねえ」と思った点が幾つかあるんですが、例えば、今日本で売れている画家の大半が日本画家であって、洋画家ではないなんてことも、この本を読んで知りました。しかもその現代日本画というのは、(浮世絵などと違って)ほとんど日本国内でしか流通していないんですってね。 しかも、この日本画市場というのは、政治がらみ・選挙がらみでにわかに景気づくことがあるんですって。 どういうことかと申しますと、有力代議士に対し、後援会か何かが有名日本画家の絵をこぞって贈ったりすることがあるからなんですな。もちろん絵を贈られた方の代議士は、すぐにこれを画商に売り払ってお金を受け取る、と。つまり直接金銭の授受なしに、ちゃーんとしかるべき「弾」が代議士の元に届く、という仕組みになっているわけ。 また大きなビルが建ったりすると、その玄関ホールに飾るよう、建築会社がビルのオーナーに大きな絵を贈る習慣が日本にはあるらしいのですが、そういう時にも大概は日本画、しかも「芸術院会員」か何かのエライ日本画の大家の作品が常に選ばれるのだそうで、日本画というのは、こういう形でしっかりとしたマーケットが作り上げられているのだとか。 あと、これも非常に面白いと思ったのですが、通常、画家が死ぬと「もうこれ以上、新作が生まれない」という理由から、その画家の作品の値段は上るのだそうですけど、日本画の場合は逆に下がるんですってね。 日本画の場合、先に述べたように確固とした市場があるので、著名な画家の新作が出れば、それは必ず売れる。ですから画商としては、それらの著名画家の覚えをよくし、新作を回してもらえるよう、実際の市場価値よりも高めの値段で競って新作を買うんだそうです。ところが、その画家が死んでしまえば、どっちにしろ新作はもらえなくなるわけですから、じゃあその絵の価値通りの値段で行きましょうということになり、2割3割という率でガクンと値段が下がるというわけ。 というわけで、「絵の値段」ってのは、通常の商品とはまた別な論理に基づく需給関係があり、それに従って値段が上ったり下がったりするわけなんですな。当然、日本での絵画マーケットと欧米の絵画マーケットは別な論理で動いているので、ゴッホやルノワールのように日本人がやたらに高額で買っていく絵もあれば、欧米では評価の高い画家の作品が、日本では見向きもされないということもあり得るし、実際にそうなっているのだそうです。例えば、日本では具象的な風景画と静物画は売れるが、抽象画と裸婦像は売れない、とかね。逆に欧米では日本の古美術には興味を持つが、現代日本画にはまったく関心がない、とか。 だから「絵の値段」と「美の価値」というのは、必ずしも一致しない、いや、大抵一致しないわけですよ。 となれば結局一番いいのは、自分で美の価値に値段をつけること、すなわち、自分がいいと思い、かつ自分の財布の中身で何とか買える絵を買うこと、なんでしょうな。満寿夫も言ってますが、そのアーティストに対する最高の評価は、その人の絵を買うことだそうですから。 というわけで池田満寿夫の『美の値段』、短い書き下ろしの本ですけど、私は楽しみながら読むことができました。もちろん既に絶版になっているので、ちょっと探さないと出て来ない本ではありますが、興味のある方には教授のおすすめ!と言っておきましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[教授の読書日記] カテゴリの最新記事
|
|