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テーマ:今日のこと★☆(106266)
カテゴリ:今日もいい日だ
今日は、大学時代にお世話になったS先生のご自宅に遊びに行きました。毎年、春休みと夏休みの間、実家に戻っているうちに先生のお宅に伺うのをならいにしておりますのでね。 S先生、大正13年生れですから、もう80歳代も半ば。昨年は左足の動脈瘤で手術を受けるなど、体調を崩されることが多かったのですが、動脈瘤に関しては完治されたということでしたので、私としては一安心。 さすがにこの1、2年、歩くのが大分遅くなられましたかねえ・・・。しかし、その点を除けば矍鑠としたもので、今でも毎週火曜日には都心へ出られ、某喫茶店を会場にして4時から8時まで勉強会を主催されているとのこと。4時間の勉強会の内、後半2時間はアメリカ文学の作品を読み、前半2時間は新約聖書をギリシャ語の原典で輪読されているそうですが、ギリシャ語というのは難しいですからね! それを毎週続けられているというのですから、頭が下がります。 で、最近の地震の話題から始まり、昨年の夏にお会いして以来、私の身辺で起こった事ごとの報告、最近読んだ本の話題、先生の故郷(静岡県)の話、先生がアメリカ文学の学者になられる前、農林水産省にお勤めだった時の話など、話題は尽きません。 そう、今日のお話の中で特に面白かったのは、先生のお父上様の話。先生のご尊父様というのは内務省のお役人だったのですが、清水港の護岸工事を任され、画期的な新工法を編み出されたというのですな。どういう工法かと申しますと、まず陸上でコンクリートで四角い箱状のもの作り、その空箱を船で海まで引いて行くわけ。で、所定の場所に着いたら、そのコンクリート製の箱に砂利だか何だかを詰め、重くして海中に沈める。で、そうやってコンクリートの真四角な箱を海の中に積み上げ、かつ並べることで、防波堤みたいなものを短い工期で作ってしまうというものだったのだそうで。 で、その工法は実際画期的なもので、事実防波堤は見事に完成したのですが、それからしばらくして、昭和6年だかに静岡に大地震があり、その際、津波が来てその防波堤を押し流してしまったんですな。 で、その責任を取らされて、ご尊父様はお役所をクビになってしまったと・・・。 うーん、防波堤なんていくら頑丈に作ったところで、所詮津波には勝てないことは今回の震災で明らかになったわけでして、そういう意味では先生のご尊父様もまた、いわれのない津波の被害者だったわけですなあ・・・。 しかし、工学系であり、アイディアマンでもあって、新工法を自ら考案してしまうところなど、S先生のお父様というのは、S先生に似ているなぁと思いました。いや、それは逆で、S先生がお父様の血を引いているということですが。S先生ご自身ももとは造船学がご専門、そして紛れもなくアイディアマンですからね。 ちなみに、そんなS先生のご尊父様の口癖の一つは、「俺は清水の次郎長親分の後ろ姿を見たことがある」だったそうで。これに対し、私の遠い親戚にも「国定忠治を見たことがある」というのが自慢の奴が居た、という話で大笑い。 ってなわけで、爆笑トークを3時間ほど繰り広げた後、私は夏にまたお邪魔することを約してお暇することに致したのでございます。 で、家に帰ってから、先生とあんな話をした、こんな話をしたということを晴れ晴れと家族のものに話をしていたら、姉から「お前はよく恩師の先生の家に遊びに行って、屈託なく話をしてくるけれども、私にはそんなことをするなんて考えられもしない。第一、大学時代の恩師と何を話せばいいか、分からない」と驚かれました。 うーん。そんなもんすかねえ、普通? 私も普段はむしろ人見知りな方なんですけど、一旦、ある人に惚れこんでしまうと、割とすんなり懐に飛び込んでしまって、厳しく鍛えられもし、また甘えさせても貰うというところがあります。清水の次郎長じゃあないですけど、親分・子分の浪花節的なものが、私の性分にはある。ですから逆に、私も私の懐に飛び込んでくるような学生に対してはとことん面倒も見、甘えさせてやる、というところもあるわけ。それは上から受けた恩を、下に返すということでもあってね。 ま、それはともかく、今日は久々に人生の親分にお目にかかって、実に清々とした気分の私なのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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