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テーマ:本日のお勧め(385840)
カテゴリ:教授の読書日記
本当は、今日あたり、先日行った新城ツアーの話でも書こうかと思ったんですけど、あんまりすごい本を読んでしまったので、そちらの話を先に。 その本というのは、集英社新書ヴィジュアル版『天才アラーキー 写真ノ愛・情』という本なんですけどね。天才アラーキーというのは、もちろん写真家の荒木経惟さんのことであります。 まあ、私、この荒木経惟さんという写真家のことは前々から好きで、気にはなっていたのですが、不勉強ゆえにそのご著書を読むのは初めて。で、今回初めて読んで驚愕しました。これはすごい。半端ないです。 この本は、荒木さんが書いた本というより、聞き書きなんですけど、私思うに、荒木さんの場合は、この聞き書き方式がぴったりなんじゃないかと。あのテレビなどでたまに目にし、耳にする荒木さんの容貌と口調が、聞き書きの口語体の中から立ち上がってくる。まるで本人がそこにいて、私に向かって話しかけてくれているみたいです。 で、この本なんですが、あまりにも凄過ぎてどう紹介したらいいのかわからないんですけど、例えばこんなエピソードが載っている。 荒木さんというのは、子供の頃からお父上様と気が合ったらしいんですな。それで下町の出身の荒木さんは、幼少のみぎり、そんなお父さんとよく銭湯に行ったと。それで子供の荒木さんがお父さんの背中を流してあげると、その返礼でお父さんも荒木さんの背中を流してくれる。 このエピソード一つ、それ以外何も語っていないんですけど、これだけで荒木さん父子の関係ってのはわかるじゃないですか。 で、そのお父上様が前立腺がんで亡くなられたと。 当時東京の下町の葬儀ってのは、とりあえず亡くなられた仏さんを茣蓙の上に寝かせるんですってね。で、荒木さんは死んで茣蓙の上に横たわったお父さんの写真を撮る。 写真家として既に活躍されていた荒木さんは、長じてからはあまりご実家に帰らなかったそうなんですな。で、葬儀に集まった親戚から「親父さんは、『どうしてノブ(荒木さんの名前)は来ないんだ』って言ってたぞ」と軽くなじられる。そして荒木さんが色々な賞を取った時など、お父上様が如何に喜んでいたか、周囲の人に自慢していたか、なんてことも聞かされ、荒木さんも後悔されるわけ。どうしてお父さんが生きているうちに、もっと頻繁に顔を見せに帰らなかったのかと。 で、そんなことも思いつつ、お父さんの死に顔を写真に撮るわけですが、荒木さんは浴衣みたいなのを着て茣蓙の上に横たわったお父さんの両袖をまくりあげ、お父さん自慢の入れ墨が見えるようにする。それがお父さんのベストショットと信じて。しかし、いよいよ撮るとなった時に、長い病気で痩せ衰えた顔が写せないというわけ。悲しすぎて。そこで荒木さんはお父様の顔は敢えて写さず、首から下だけを撮影するんです。 そうすれば、顔は後から想像できるから。元気だった時のお父様の顔を。若き日の、腕利きの下駄職人としての凛々しい顔とか。晩年、得意げに自分の息子の自慢をした時の顔とか。 写真ってのは写してしまえば、モノとして残り、そして記憶に残ってしまう。写さなければ、自由に想像する余地が残される。だから何を写して、何を写さないかが重要だ、と荒木さんは言います。だから、荒木さんは「死んだ親父が俺にフレーミングを教えてくれたんだ」と言うわけ。 それからね、荒木さんがお母様を亡くされた時。やはり茣蓙の上に寝かされたお母様のご遺体を写真に写しておられるんです。で、その時は、亡くなったお母様が一番凛々しく写るためにはどの角度から写せばいいか、お母様があの世で「いい写真を写してくれた」と喜んでくれるためには、どこから写せばいいか、そのベストアングルを求めて撮った、というんですな。実際、その写真もこの本に掲載されていますが、確かに、ものすごく美しい写真です。 で、荒木さんは「だから、写真ってのはアングルが命なので、そのアングルを死んだ母親が教えてくれた」っておっしゃるわけ。 フレーミングとアングル。写真に必要なこの二つのことを、死んだお父さんとお母さんが教えてくれたと。そして、そのおかげで天才写真家・アラーキーが誕生したと。 なぜなら、荒木さんにとって写真というのは愛であって、お父上様やお母上様への荒木さんの愛が、そういう形で写真の中に写りこむから。 被写体への愛、被写体と過ごした時間が、写真の中に固定される。だから、自分の写真というのは饒舌だと、荒木さんはおっしゃいます。だけど、それはそれとして、その写真を見る人は、別にそういう荒木さんのストーリーだけに耳を傾ける必要はなく、その写真の中から自分の好きなことを読み取ればいいと。そういう自由さもまた、写真の特権だと。そういう風にも考えておられるようなんですな。 こういう、ある意味、ものすごく重い話を、荒木さんは、いや、天才アラーキーは、あのいつもの軽い調子で語るわけですが、軽く話されるほど、読んでる方の胸にずしんと来ますなあ。 で、荒木さんと言えば、愛妻・陽子さん、そして愛猫・チロなんですけど、早世された奥様のことや、その後のさびしい荒木さんの生活を支えてくれた猫のチロの話なんかは、ここでご紹介するのもアレなので、どうぞご自身でお読みください。それから、荒木さんがずっと撮り続けておられるご自宅のバルコニーの写真の話とか、素晴らしいの一語です。写真そのものも含めて、ね。 とにかく、この本、私は読み始めてからもう本を置くことが出来なくなり、一気に最後まで読み切ってしまいましたが、最近読んだ本の中でピカ一。ダントツの一番でございます。本書には女性のヌードも随分掲載されていて、そういうのがお嫌いな方もおられるかも知れませんが、そこにもまた荒木さんの写真哲学というか、女性観というか、女性賛美というか、そういうものが見事に語られていますので、表面的な部分で忌避されるのは、あまりにももったいないです。そこも含めて、荒木さんという稀有な人物を理解する一助としていただきたい。 ということで、この本はもう絶賛するしかない。誰もが読まなくてはならない本なんじゃないでしょうか。ほんと、スゴイよ。私もこれから二読、三読、四読して堪能するつもりです。私、完全にアラーキーに惚れてしまいました。 写真家・荒木経惟、天才・アラーキーの『天才アラーキー 写真ノ愛・情』、教授の熱烈熱烈熱烈おすすめ!です。これはスゴイ!! これこれ! ↓
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