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釈迦楽

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August 8, 2011
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カテゴリ:教授の追悼記

 さて。

 私はいよいよ『墨染めに咲け』のことを書かなくてはならないところまで来ました。来た、というより、追いつめられた、とでも言いたいところですが。

 しかし、やるべきことはやらなくてはなりません。ここはひとつ、心を無にして、最後までやっつけてしまいましょう。


 本の形で公刊されたものとしてS先生最後の著作物となる『墨染めに咲け』(新宿書房)は、その奥付によれば、2008年11月25日の出版となっています。しかし、この本が出版されるまでには、長い時間が必要でした。この本の内容は、先生がその同人のお一人であった『月水金』という同人誌に連載されたのですが、その最初の部分が書かれたのは1992年のこと。ですから、この本は書き始められてから本の形にまとまるまでに、都合16年かかったことになります。

 何故そんなに時間がかかったのか?

 それはこの本が、先生の最初の奥様の死を記し、息子さんの死を記した「死の記録」だからです。

 既に述べてきたように、S先生の人生の後半の50年は、すべて一つの問い、すなわち「何故妻は私から奪われなくてはならなかったのか、何故息子は私から奪われなくてはならなかったのか」という問いへの答えを、当て所なく探すためだけに費やされたようなものですが、その堂々巡りの旅の果てに、先生はついに自分なりの結論を出す決意をされた。

 しかし、それはS先生にとってあまりにも過酷な追求であったため、先生は何度もこの本の執筆を中断された。中断しては、勇気を奮い起して筆を執り、また中断しては、ぼろぼろになった心と体に鞭打って再び筆を執られた。その繰り返しゆえに、完成までに16年を要したのです。
 

 今、私の手元にある『墨染めに咲け』には、S先生のご署名の脇に「二〇〇八・NOV・27」という日付が書いてある。おそらく、発行元から著者分として届けられたこの本を、あまり日にちを置かずに私宛てに郵送して下さったのでしょう。そしてそれはおそらく「早く読め」という先生からのメッセージだと受け取った私は、本を受け取ったその日のうちにこの本を読み始めたのでした。

 そして冒頭の部分を読んで、ああ、なるほど、と思った。



 本書は、とある人物(S先生は「貴兄」とか「大兄」と呼びかけていますので、ひょっとすると実在する同僚のどなたかなのかもしれませんが、あるいは架空の人物かもしれません)に対してS先生が返書のようなものをしたためる、という体裁で、語り出されます。

 この「貴兄」なる人物は、S先生の度重なるご不幸のことを知っていたようです。それで、S先生のことを気遣い、ある時、デイモン・ラニヤンという作家の書いた「なぜわたしが?」という標題のエッセイを先生の机の上に置いておいた。で、先生はそれを読まれた。

 このラニヤンという人は、自身、不幸な人生を送った人のようですが、彼はこのエッセイの中で聖書の『ヨブ記』の内容を短くまとめつつ、不幸に陥った人は誰も「なぜこういうことが他の人の上ではなく、自分の上に降りかかるのか」という問いを発しがちであるが、こういう問いに対して聖書の『ヨブ記』は、少なくとも一つの回答にはなっている、というようなことを書いている。それがこのエッセイの、いわば趣旨です。


 私はこの一連の追悼文の中で、S先生と『ヨブ記』との関連について、既に何度も述べてきました。ですから、全体の趣旨として、先生がラニヤン氏の書かれていることに反対するはずがない、ということは明らかでしょう。事実、エッセイの標題となっている「なぜわたしが・・・」という問いは、先生ご自身が何十年にもわたって問い続けた問いでもある。

 しかし、それにもかかわらず、S先生はラニヤン氏のこのエッセイに対して、今風の言葉を使えば、カチンと来た。特に3つの点で、カチンと来たんです。

 一つは、『ヨブ記』の中では、ヨブを慰めに来た三人の友人たちとヨブとの論争が、分量的にも内容的にも非常に大きな割合を占めており、しかもこの論争の中でヨブは自らの信念を一層強め、確実に成長を遂げている。にも関わらず、ラニヤン氏のエッセイの中ではそのことがまったく看過されていること。

 二つ目は、『ヨブ記』の最後で、神が試練を耐え抜いたヨブを寿ぎ、以前に倍する財産と新しい妻子を与えた、ということに何の疑念もなく、ただ素晴らしいこととしてさらっと書き流していること。

 そして三つ目として、(これが先生にとって一番「カチン」と来た点なのですが)、ラニヤン氏が、神の試練の重大さに順位をつけ、ヨブ自身の体が病に蝕まれたことを、ヨブの子供たちが死んだことよりも重大な試練とみなしているらしいこと。
 
 特にこの三番目の点が、おそらく決定打になったのでしょう。先生はこの点について次のように書かれている:


 自分の子供たちが死ぬのは「小さなこと」で、自分の体が痛むのは「大きなこと」なのか。間接の痛みは「瑣末」であり、直接の痛みは「大事」なのか。外見上は異常なく見える苦しみのほうが、手で触れればそれとわかる苦しみより耐えがたいことがありうると、なぜこの文学者は考えなかったのか。(『墨染めに咲け』11頁)


 別にこの部分が太字で書かれているわけでも、一文一文に「!」マークが付いているわけでもありません。しかし、この文章を読んだ時、私にはS先生の絶叫が聞えました。この文章を綴っていた時、その原稿は先生のおそるべき筆圧によってズタズタになったのではないか。もし目の前にそのラニヤンとかいう男が居たとしたら、先生はそいつのことをぶん殴って、叩きのめしたのではないかと。

 S先生が心の中で何十年と繰り返してきた「なぜわたしが・・・」という問いは、「なぜ私の身にこういう不幸が降りかかったのか」ということではなく、「なぜ私が、私の子供の代わりに死ななかったのか?」という問いであったからです。


 ラニヤンとかいう奴が言っていることは、正しいようで正しくない。それは、本当にヨブと同様の苦しみの中に生きている者の代弁をしていない。おそらく、S先生が言わんとしていることは、そういうことだったでしょう。そしてその先生の怒りは、こんなものを読ませて、S先生に同情しているふりをした「貴兄」に対しても向けられる。

 ひょっとするとS先生が『墨染めに咲け』を書かれたのは、こういうおためごかしの「貴兄」に対して、「だったら、俺がどういう暗闇の中で生きてきたか、どういう苦悩の中でのたうちまわっているか、見せてやるよ」という、殺意に近い気持ちを抱かれたことが、一つの動機になっているのではないか。私にはそんな風に思えます。

 そして、S先生と「貴兄」との関係は、いわばヨブとヨブを慰めにきた三人の友人たちの関係と同じなのではないかと。ヨブは、自分を慰めに来た三人の友人たちに向かって、「おまえたちの言っていることは、正しくない。私の苦しみを慰めない」と叫んだ。それと同じことを、S先生はラニヤン氏に向かって、そして「貴兄」に向かって叫ぼうとしたのではないかと。

 それはつまり、『ヨブ記』のことを何十年にもわたって考え続けられてきた先生が、ついにご自身の手でご自身の『ヨブ記』を書く気になられた、ということなのではないか?


 私がこの本の冒頭部を読んで、「ああ、なるほど」と思った、というのは、そういうことです。ついにその時が来たのだな、と。


 そしてこの先、S先生の筆は、この稿が書かれた時から13年前の3月17日、午前3時に遡ります。神奈川県警第一交通機動隊港北分署からの一本の電話。それは、「子どもを失う」ということが、本当はどういう体験なのかをS先生に理解させることになる、ある出来事の最初の報告だったことは、言うまでもないでしょう。(この項、続く)





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Last updated  August 8, 2011 03:08:22 PM
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