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釈迦楽

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August 13, 2011
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カテゴリ:教授の追悼記

 何か大きな不幸があった場合、後で思い返してみると、ひょっとしてあれが前兆だったのか、と、はたと思い当たるようなことがあることがあります。大きな不幸の先触れとなる小さな不幸の思い出、というのでは必ずしもなく、むしろ日常的な、あるいは幸福な思い出なのだけれども、後から思えば、何となく「あれが・・・」と思い起こされるようなことが。S先生の場合には、一枚の写真がそうでした。

 1962年の晩春、先生は奥様と息子さんの写真を撮るんです。当時は大塚仲町にあったご自宅のお庭の芝生の上で、さちさんと幼い隆志さんが並んで座っているところを写した写真。明るい陽射しの中で、いかにも幸福そうに微笑んでいる母子の写真。

 まさかこの写真が、さほど遠くない将来に奥様の遺影に使われるようになるとは、そのときはもちろん先生といえども思いもしないわけですが、しかし思い起こしてみれば、「幸福もここがピーク」ということを先生は無意識のうちに予感して、その悲しい思い出にこの写真を撮っておこうと思いつかれたのかも知れません。


 この年の夏、8月9日の朝方、得体の知れない痛みと手足の痺れを発症したさちさんは、同愛記念病院に緊急入院することとなります。腹部の痛みと吐き気、熱、そういう症状は明らかなのに、原因が分からない。そのまま約一ヵ月入院し、9月22日に一度退院。しかし、10月9日に再入院となり、そのまま病院での年越しとなってしまいます。1963年元日の先生の日記は以下の通り:


1963年1月1日
 雲が一つもなく、まっさおな空。雲がないことが頼りなく感じられる。冷たく非情である。あまりにも青すぎる。
 かくして一九六三年を迎える。うつろな生活。うつろであることが胸にも、頭にも、背骨にも、激しい衝撃をあたえる。
 家政婦は昨日三時ごろに、池袋に貯金をおろしに行ってきますと言って出かけたまま帰ってこない。
 廊下のひなたは、あついくらい。朝はパンだけ。(『墨染めに咲け』263頁)


 この後、一ヵ月ほどして、さちさんの病状は少し回復し、一時退院の許可が出る。2月7日のさちさんの手紙を見てみましょう:


 退院、来週になります。
 早く帰ってこない私を許して下さいね、サム。あなたがどんな気持ちでこの半年を過ごしていらしたかを思うと、ほんとに申し訳なく、つくづくと、こんな病気になった自分が情けなくなります。一秒も早く帰りたい気持ちは山々です。時々どうしてよいかわからないほど。そして、ワーッとやれば、病気を吹き飛ばして了えるような気がします。でも九月の失敗が、もともと臆病な私をいっそうびくびくさせています。(後略)(同265頁)


 ちなみに上の手紙にある「サム」というのは、さちさんがS先生を呼ぶ時の愛称です。先生がさちさんのことを「キティー」と呼ばれたのもそうですが、お互いの名字の発音を少しもじって、英語風に変えたのでしょう。


 しかし、この退院は結局3月23日まで持ち越しとなり、さらに4月19日には再入院となってしまう。

 そしてこの辺りからさちさんの病状は一層深刻なものになっていったようです。先生の日記を見ましょう:


 四月二十日 昨日夕方 さち子また入院。今日は隆志と二人で同愛病院に行く。昨日と同じように、「はっきり見えない」と言う。今日は、小便がしたい という。便器をからだの下に入れてやるが、出ないという。「うつむけにして」と言う。からだが重い。痩せ切ったからだが。「うつむけにしてっていうのに」とおこる。やっとうつむけにしても出ない。導尿をしてくれるように看護婦に言ってくれと言う。「早く、早く」とおこる。
 小便が終わると、パジャマを着せてくれと言う。「寒い」とおこる。左足だけしか動かさない。腰が痛いという。
 大部屋から個室にかわる。注射、そして眠ってしまう。隆志は母親のそばにいることで満足している。しかし、いつまでたっても母親は眠っている。六時十五分に病院を出る。
 一昨日の夜は不気味を感じた。痛いからと言って、ふとんを蹴飛ばし、ベッドからころがり落ちる。どうしたことか。「神様に祈って下さい」と言う。(後略)(同271-272頁)


 この時はまだ不明だったものの、ガン細胞が少しずつ全身に回り始め、視神経や脳にも影響を与え始めていたのかもしれません。この辺りからの先生の日記は、読んでいる方まで息苦しくなるようです。


 四月二十四日。隆志は少し風邪気味。
 慶応日吉からの帰り道に病院に寄る。脊髄の液を取ったところだと越川班長(さちさんのお父様でお医者さん)が言う。
 さち子は眠っている。一時間ほどして目をさます。「足がだるいよう」と言う。「目がはっきり見えない。はっきり見えない、はっきり見えない」と言う。
 「おにいさん(さちの兄、弘)、神様に祈って」と言う。
 顔は、今まであまり痩せて見えたことがないのに、なんだか頭蓋骨の形が見えてきたような気がする。言葉ももつれがひどくなったようだ。
 隆志の眠る前の神様への祈り。「ママが早くデパートに行けるようにしてください。」
 私も神に祈りたい。一昨日、さち子はヨブのことを言っていた。でも、おれが、神を、いま、信じると言ったら、それは苦しいときの神だのみ。

 四月二十五日
 さち子、がんばれ。たのむ。がんばれ。
 口がきけないのか、紙に書いた。「わたしは少しはよくなったの。」ジェスチュアであれ。
 神に祈りたい。
 隆志は咳。しっかりしろ。しっかりしろ。(同275頁)


 この頃、一時的に目が見えず、また口もきけない状態になったさちさんと先生は、大きなスケッチブックでの筆談で会話をしていたようです。そして4月28日の日記には次のように書いてある:


 四月二十八日
 昨日は、さち子、脳波の検査、レントゲンをやったという。
 スケッチブックに大きな字で、「なほったらも一度けっこんしきをして三人で三人でしゃしんとって元きにやり(判読不能)そのとき(判読不能)バイキングに(判読不能)」「もうかけいぼはつけない」と書く。(同278頁)

 
 本書のこの次の頁には、その時さちさんがスケッチブックに書いた字が、そのままコピーされて載っています。「病気が治ったら、もう一度結婚式をしたい」と、「三人で写真をとって、バイキングでも食べて・・・」と、苦しい息の下で綴ったさちさんのことを思うと、この文を書き写している私も、だんだん涙で目が見えなくなってきます。

 しかし、先生とさちさんには、この「も一度」のチャンスは与えられなかったのです。(この項、続く)





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Last updated  August 13, 2011 04:48:34 PM
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