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釈迦楽

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December 4, 2011
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カテゴリ:教授の読書日記

 昨日からの続きです。


 牛島のプロ柔道団体を無断脱退するような形でハワイへ向かった木村政彦ですが、ここである程度成功を納めた彼は、その後もブラジル遠征など、海外でプロ格闘家として経験を積んで行くことになります。

 で、このことについては二つの側面が背景にありまして、一つは講道館のスポーツ柔道への反発。牛島・木村のようにもともと古流柔道から出た柔道家にとって柔道とは実践的な護身術であり、場合によっては相手を倒すための技術でもある。ですから、どんな敵に対しても対処できるようになっていないとまずいわけですね。ボクサーが殴りかかってきても、空手家が蹴って来ても、レスラーがタックルしてきても、それらを捌けるような実践的な柔道でなくてはならない。しかし戦後日本の柔道界を束ねる講道館は、(創立者・嘉納治五郎の意志に反する形で)ますます格闘技としての実践性をないがしろにしていく。

 木村は海外において様々な格闘技の選手たちからの挑戦を受ける中で、実践的な格闘技としての柔道を追究したいという気持ちを固めていくわけです。

 で、もう一つの側面は、単純に金銭的なものですね。日本で柔道をやっていてもあまりお金にはなりませんが、海外でプロとして興行すれば、一夜にして莫大な金が手にできる。この違いは、木村にとっては大きかった。

 つまり、このあたりから木村の柔道は精神的なモノではなくなり、形而下的な生活の具になっていくわけですな。ここにおいて木村は、師匠・牛島の弟子であることを完全に放棄したと言っていい。

 とは言え、このことがすなわち、彼の柔道に対する気持ちが不純なものになったということではありません。

 彼はブラジルにおいて、地元における柔道のヒーローたるエリオ・グレイシーと対戦し、彼を撃破するのですが、腕の骨を木村にへし折られてもなお「降参」をしなかったエリオ青年の中に、戦後の日本人が失ってしまったサムライ魂を見出し、深く感銘を受けたりしている。そういう意味での純粋さというのは木村という人の本質であり、それは彼が一生保ち続けたものなんですな。

 ちなみにこの試合以後、エリオをはじめとするグレイシー一族は木村を尊敬し続け、その子供の世代のホイス・グレイシーが世界異種格闘技選手権を制した時、彼が木村の名前を挙げてリスペクトをしたために、「木村って誰だ?」という話になり、日本でも木村政彦の知名度がアップした、というところがある。面白いものです。

 しかし、日本に帰国した木村は、相変わらず柔道家としては生活できず、あまりパッとしない仕事につきながらくすぶっていた。

 そこへ出てきたのが力道山だったんですな。

 朝鮮人であるがゆえに日本の相撲界では出世できないと決めつけた(このあたりの決めつけも、本当にそうだったのか、力道山の思い込みか、不明なところがあるようですが)彼は、日本という国への激しい愛憎の裏返しで、プロレスラーとしての成功へ異常なまでの執念を燃やすようになるんですな。そしてその目的達成のために政治的な権謀術策を尽くす一方、練習面でも激しい努力を続ける。

 で、シャープ兄弟を日本に呼んでの興行でも、日本のプロレス団体を結集するといいながら、自分だけが最終的にいい思いをするように試合を仕組み、当時、同じくプロレス団体を結成していた木村政彦を、良いように利用して行く。木村がシャープ兄弟にめった打ちにされたところで自分が出ていき、シャープ兄弟をやっつけるという形で試合を組み立て、木村は弱いが力道山は強い、というイメージを植え付けていくわけです。

 で、最初のうちはプロレスのそうした「段取り(ブック)」を受け容れていた木村も、あまり毎回、自分がやられ役になることに対する不満が募り、ついに力道山への挑戦状を叩きつけるところまで追い込まれるんですな。

 しかし、それこそ、いわば力道山の術中にはまるようなものだった。力道山は政治力を駆使して試合ルールを自分に有利なように設定(木村の打撃は違反とし、自分の空手チョップは使っていいことにする、等々・・・)し、また試合前のブックの確認書を木村にだけ提出させ、自分は提出しないなど、様々な罠をしかけるわけ。そして木村が慢心して練習をしないのをよそに、力道山は万全のコンディションを整えて試合に臨むと。

 で、運命の日がやってきます。木村政彦対力道山のプロレス頂上決戦。日本中の注目が集まる中、その試合が始まる。

 事前の打ち合わせでは、61分三本勝負のうち、最初の二本では交互に勝ちを譲り、最後の一本は時間切れ引き分けにすることになっていたのに、力道山はその打ち合わせを無視し、最初から猛ラッシュを仕掛けるんですな。そして、油断していた木村に力道山のパンチがまともに入り、それで意識の飛んだ木村を力道山はさらに顔面キックなどで痛めつけ、血の海に沈めてしまう。それはプロレスの筋書きを無視し、人のいい木村をだまし討ちにした勝利でした。

 しかし、あの試合をテレビで、あるいはその場で見ていた人々には、力道山の圧勝、木村政彦口ほどにもなし、ということになってしまう。外面的に見えるものしか、人々の目には映りませんから。

 しかも力道山の攻撃はその後も続きます。なんと試合の後、試合前に木村が提出した「この試合は引き分けにする」という同意書を公開し、「木村は卑怯にも、八百長をしかけてきた」と言い出すんですな。これで木村は単に力道山に負けた弱い男というだけでなく、卑怯な奴というレッテルまで貼られてしまう。

 見かけ上の勝負の上でも、政治的な意味でも、木村は力道山に完敗するわけです。そしてこれ以後、勝った力道山が昭和のヒーローとなり、華々しくスポットライトを浴び続けたのに対し、木村は一生涯、負け犬のレッテルを貼られたまま生きるという運命を背負わされるんですな。この時、木村政彦37歳。木村はその後75歳まで生きるので、人生の後半生すべてを不名誉の汚辱の中で生きることを強いられたと言っていいでしょう。

 しかも、力道山はその後暴漢に刺され、人生の絶頂にある時に死ぬので、木村には彼と再戦して今度こそどちらが真の勝者かを実証するチャンスも奪われるんですな・・・。

 その後、木村は紆余曲折の末、母校拓大の柔道部の指導者となり、岩釣兼生などの名選手を育てるなど、最後まで柔道と関わって生きるのですが、やはり力道山戦で負った不名誉、そして心の傷はぬぐえぬまま、しかも講道館との対立が解けなかったために、柔道の正史の中からもその名が消されたまま、ひっそりと亡くなるわけ。

 
 こうしてみると、木村政彦という柔道家の人生は、20代前半までで頂点を迎え、その後は戦争と、講道館と、力道山につぶされ、最強の柔道家、いや最強の格闘家として当然、受けるべき名誉も何もないまま、不遇の中で死んでいった、ということになるでしょうか。この本を書いた増田さんは、そうした悲劇の人・木村政彦の心の慟哭を、この本で代弁しようとしたんですな。


 ま、そういう意味で、この本には著者・増田さんの木村政彦への愛が詰まっておりまして、何としても彼の汚名を雪ぎ、彼の本当の強さというものを世に知らしめようという気迫があって、木村についての真実を追う取材の徹底ぶりなど、渾身の伝記になっております。2段組み700頁という本自体の迫力も、そのことを裏付けている。木村という人物のことを知るには、現時点で最良のものと言っていいでしょう。

 でまた、木村政彦のことばかりでなく、木村が生きて経験した時代のことにもこの本はずいぶん詳しく分け入って書き込んでいるのですが、それがまた面白いわけ。そのあたりのことについては、また明日あたりにこのブログで紹介しようと思うのですが、とりあえずこの本、日本が生んだ最強の格闘家の伝記として、相当気合の入った本となっております。一読の価値あり。教授のおすすめ!です。


これこれ!
 ↓
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
著者:増田俊也
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Last updated  December 4, 2011 04:52:44 PM
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