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釈迦楽

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August 14, 2012
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カテゴリ:教授の読書日記

 昨日言及した版画家・山本容子さんの『マイ・ストーリー』、結局、読み切ってしまいました。これ、かーなーりー面白いです。

 山本容子さんの父方の祖父というのは鮨職人で、大阪で初めて江戸前鮨店「福喜鮨」を開いて大店に育て上げ、しまいには生駒山中に「山本旅館」なる豪勢な旅館まで作った立志伝中の人なのだそうで、山本さんも幼少のみぎりはお姫様として育ったそうなんですな。

 で、この時のエピソードで面白かったのは、容子さんのお母様が山本旅館の仕事の手伝いをしていて、40客セットになっているお皿を一枚欠いてしまった時のこと。何の気なしにそのことをお祖父さんに報告すると、お祖父さん、では、その皿とセットになっている他の39枚を全部持って来なさいと言いつけ、欠いた皿も含め、全セットを嫁である容子さんのお母様に割らせたというのです。もちろん、豪勢な旅館ですから、一枚だって高い皿なのに、それを40枚全部割らせた。

 これが、お祖父さんの「教育」なんですな。実際、このことがあってから、容子さんのお母様は、一枚の皿も割らなくなったそうですけど、とにかく容子さんのお祖父さんというのはそういう強烈な人だった。

 ところが、そんな大店のお姫様育ちの容子さんの生活が変るのは、このお祖父さんが亡くなってから。もともと理系の研究者志望で、実家を継がされたことに不満を持っていた容子さんのお父様が、お祖父さんの死後、旅館を二束三文で売り払い、そのお金を作って私設の研究所を作るも、天性の大名的性格ゆえ人にも騙され、たちどころに資産を使い果たして破産、一家は東京に夜逃げすることになると。

 で、これ以降、山本さんのお宅(特に容子さんのお母様)は苦労を重ねるのですが、そういう苦労をしながらも、娘には貧しい思いをさせたくないと、容子さんを敢えてお嬢様学校の聖母女学院に進学させる。で、もともとお嬢さん育ちの容子さんは、再び、自分の世界を取り戻すわけ。

 で、そのままで行けば、上智大学とか聖心女子大のようなクリスチャン大学に進学するコースもあったのですが、高校時代に前衛演劇に凝った容子さんは、当時、関西圏で前衛演劇の拠点でもあった京都市立美術大学への進学を考えるようになり、一浪の後、ここに入学。梅原猛などが後に学長になるこの大学の活気のある雰囲気に魅せられ、演劇ではなく、美術そのものに夢中になって行く。

 で、京都芸大に居た頃の容子さんの思い出というのがすごく良いんだなあ。指導教授の吉原英雄の薫陶を受け、先輩に当たる木村秀樹、田中孝(両名とも後に著名な美術家となる)らに引っ張られる形で、切磋琢磨していく若き日の山本容子さんのはつらつたる学生生活の描写は、まさに青春群像という感じ。で、容子さんは特に「秀樹先輩」に憧れ、彼に認められたい一心で背伸びをした挙げ句、思い切って告白すると、「YOYO(容子さんの学生時代の呼び名)な、そういうことを言ったら終わりやろ。僕も君が嫌いではない。でも、みなで一緒にいる方がすごく楽しいし、何より、作品を創っているのが一番楽しい。」(80頁)と言われてしまって、この恋はあえなく潰えてしまう。

 で、その後、「秀樹先輩」の一番の親友、「田中孝先輩」とYOYOはあっさり結婚してしまうわけ。これは愛による結婚というよりも、芸術家同士、創作と生活を共にしたら都合がいいのではないかという打算による結婚だった。

 で、この結婚は4年半ほど続くのですが、この間、山本容子さんが世間的に売れ始めるんですな。孝先輩以上に。で、そのこともあり、また元々分ちがたい愛情を元に結婚したわけではなかったこともあって、二人は別れてしまう。

 そしてそんな彼女の前に現れたのが、中原佑介だった。中原氏は山本容子さんより21歳も年上で、既に功なり名遂げた美術評論家として飛ぶ鳥を落とす勢い。まだインターネットもなく、海外の情報も入って来ない中にあって、気鋭の評論家として海外にも頻繁に赴き、外国人の美術家とも交流のある中原氏は、容子さんから見れば憧れの存在。その彼が、これまた新進気鋭の版画家として売れ始めた容子さんを目にかけるようになったのですから、二人の間にパッと炎が燃え上がるのも当然。

 でまた、この辺の描写がこれまたいいのよ。中原氏に誘われるままに容子さんはニューヨークを訪れるのですが:

 
 中原さんが仕事を片付けた後に合流する予定で、飛行機の便名を指定した手紙が届いた。一度しか外国に行ったことがないわたしは不安で不安で仕方がなかったが、空港で待っていてくれた中原さんの姿を見た時は、ほんとうに嬉しかった。たがが外れたような喜びだった。ホテルは一緒の部屋だったけれども、覚悟は決まっていた。予期はしていて、ぜんぜん構わないという感じだった。(126−127頁)


 うーーん! 爽やかな官能!

 で、二人は以後、生活を共にするわけですが、何しろ中原佑介氏は既婚者ですから、二人の関係は公然たる不倫。著名な評論家と新進の版画家の組み合わせとなると、容子さんが評論家に媚を売った、と判断される余地がたっぷり。で、容子さんもいわれなき・・・いや、いわれはあるか・・・中傷にさらされ、親にも勘当される日々となるわけですが、しかし、世間から阻害された二人だけの静かな生活の楽しさを語る容子さんの筆からは、中原氏との生活がいかに容子さんにとって貴重な体験だったか、ということが伺えるんですな。

 で、二人の生活は14年に亘って続くのですが、この間、容子さんは版画家として売れまくるようになる。そして、それに伴って中原氏以外の世間との付き合いも増えて来る。中原氏は、他人が容子さんのことを「商業主義に陥った」と批判すれば擁護してくれたものの、やはり評論家としては、同じことを指摘せざるを得ず、また何よりも容子さんの世界が自分の世界を超えてしまったことに焦りも感じて、彼女を縛るようになる。

 で、行き詰まりを感じた容子さんは、旅番組で1週間寝食を共にしたテレビディレクターの氏家力氏にいきなり容子さんの方からプロポーズする形で結婚してしまい、中原氏との関係を解消するんですな。

 しかし、もちろん容子さんが、一つの関係に長く留まれるわけもなく、この後、更に彼女の活躍の場が増え、様々な魅力的で才能豊かな人々との出会いに触れつつ、結局、7年の結婚生活の後、氏家氏とも離婚しました、というところでこの自伝は一応終わります。


 説明の都合上、人間関係のことに多く触れましたが、本書では、山本さんの美術に対する考え方、版画家としての自負など、創造者としての山本容子のあり方にも自然に触れられておりまして、その辺もすごくいい。そして、そういうことも含め、奔放な生き方をしているようにも見えますが、その実、筋は通っているという感じがする。その辺の凛としたところが、やっぱりいいところのお嬢さんだなと。実際にはかなり生々しいことも書いているのに、それが少しも嫌らしくなく、爽やかな読後感だけを残すところも本書の魅力。

 とにかく、本書を読んで山本容子という魅力的な人物に大いに興味が湧きました。才気ある女性のBildungsromanとして一読の価値あり。教授の熱烈おすすめ!です。


これこれ!
 ↓





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Last updated  August 14, 2012 11:21:26 PM
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