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カテゴリ:教授の読書日記
突然ですが、勇気ってどうやって付けたらいいと思います?
私は「勇気」ってのは、持って生れた資質であって、勇気のある人、ない人、それぞれ生れた時からそうだし、死ぬまでそうなのかと思っていたんです。知識のように本を沢山読めば増えるとか、筋肉のようにトレーニングを積めば増えるとか、そういった類のものではないのだろうと。 ところが。 プレンティス・マルフォードという、19世紀半ばのアメリカ人の本を読んでいたら、勇気の付け方が書いてあったんです。で、それがまた目からウロコでね。 マルフォードに言わせると、勇気の反対語は「せっかち」であると。 もうこの時点で意外でしょ? 私もそうですけれども、大概の人は、勇気の反対語は「臆病」だと思っている。だけど、そうではなかったらしいんです、マルフォードによれば。 つまり、勇気が無い人は、すごくせっかちなので、まだ来てもいない未来のことを先取りして気に病むと。 例えば1週間後に、人生を決めるような重要な面接があるとする。と、勇気が無い人は、もう今日からそのことが気になって、食事もろくにのどを通らない。何をやっても、気もそぞろ、と言いましょうか。 ましてや面接当日ともなれば、前日から眠れないのはもちろん、朝食など砂を噛む思い、面接会場まで行く汽車はちゃんと定刻に来るだろうか、とか、そんなことまで不安になってしまう。 このように未来のことをせっかちに先取りすること、これが「勇気のない」人であると。 逆に、勇気のある人は、未来のことなんか気にもせず、今を精一杯生きる。 だから、1週間後に面接があるのなら、冷静に日割りして、1週間のうちに準備できることを一日一日しっかりこなす。 そして前夜、眠るとなったら、睡眠の心地よさを十分に堪能する。 面接の朝は、朝食の一口、一口を味わい、旨いなあと思う。 面接に着ていく服を選ぶにしても、どれを着ようかなと、セレクト自体を十分に楽しむ。そして、アイロンのピシッときいたシャツに袖を通す、その快感まで堪能する。 そして面接会場までの道のりでは、木々の緑、晴れ渡った空など、景色も十分に楽しむ。 せっかちなことをしないで、その瞬間、その瞬間を100%味わいながら生きることが出来る人、これこそが勇気のある人であると。マルフォードはそう言っています。 だから、勇気をつけようと思ったら、自分の中のせっかちな部分をとり除けばいいのだと。今、していることに集中して生きることを習慣づければ、それによって勇気は付くのだと。 ほう! ほう! ほう! ほう! そうだったのか~! 私も、そういう意味ではけっこうせっかちなので・・・というか、勇気がないので・・・結構、未来のことを先取りして気に病んでおりますわ。気に病むというほどでもないけれど、「来週、この仕事が入っているけど、その準備しなくちゃなあ」とか、「年末までにこの原稿を書かなくてはならないけど、どうしたもんかなあ」とか、先のこと先のことを考えては途方に暮れている。そして、そのことが常に頭の片隅にあるので、完全にリラックスするということがない。 うーん、これではいかん! 私も、こういう「せっかちさ」を自分からとり除いて、勇気をつけねば! 自己啓発文学の研究は、いわば仕事でしているわけですけれども、こういう発見が随所にあるもので、なんかね、意外にタメになります。自己啓発って、たしかに、啓発的な部分があるね。だから最初から「自己啓発」文学だって言っているだろう、と言われればその通りなのですが、インテリはさぁ(自分のことインテリって言っちゃった!)、こういうの馬鹿にしがちじゃん? だけど、馬鹿にならない部分があるなと、時々痛感させられます。 とにかく、今、自分がしていることを最大限楽しむことで、私もひとつ、「勇者」になろうじゃないかと、そんな風に思っている私なのであります。 これこれ! ↓
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Last updated
July 24, 2015 06:22:36 PM
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