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釈迦楽

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August 2, 2015
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カテゴリ:教授の読書日記
 このクソ暑さのせいか、あるいは昨日、懸案だった講演の仕事が終ったせいか、夏には強いと自負する私も若干夏バテ気味。なんか何にもする気が起らないので、今日も一日、仕事とは関係ない本をグダグダと読んでおりました。
 
 で、読んでいた本の一冊が、鹿島茂著『進みながら強くなる』(集英社新書)。本屋さんで見かけて、パラパラ立ち読みしたら、割と面白そうだったのでね。

 『進みながら強くなる』というタイトルは、要するに、人間ってのは「何かをしない」理由付けをするのが得意なので、油断すると「まだ準備が出来てないから」とかいうもっともな理由をつけては、新しいことに着手することをためらうものであると。だから、準備なんかまだ出来てないうちから見切り発車的に第一歩を踏み出せばいいのだと。

 で、その際、他力本願というのも案外役立つもので、たとえばどんな形であれ、他人が背中を押してくれたら、それに乗っちまうという手もある。

 鹿島茂さん自身、もともと論文以外、ものを書いたことがなかったそうなんですが、ある時、知人の編集者だかが、鹿島さん本人の許可も取らないまま、某雑誌にあるテーマで連載記事を寄稿する手はずを整えてしまった。それで仕方なく、不充分な準備のまま、書きながら調べる自転車操業で連載を続けているうちに、結局連載をきちんと書き終えることができたばかりか、その連載をまとめたものが本になり、その本が賞をとって、それが「物書き」としての鹿島茂の誕生となった。

 こういう風に、他人に無理やり押しつけられたような仕事でも、思い切って引き受けることで、新しい次元の自分に出会うこともある。だから、頼まれた仕事は断らないで引き受けるというのも手だよと。

 だけど、そうやって引き受けた仕事が成功すると、今度は同じようなテーマについての原稿依頼が山のようにくる。でも、自分としてはもうそのテーマは卒業したい。そういう時はどうするか。

 鹿島さん曰く、そういう時は、ただ断るのではなく、依頼主に向って逆提案しなさいと。

 つまり、「そのテーマはもう書いてしまったので、これ以上は面白いものが書けそうもない。だから、それと少し方向が違うけれど、こういうテーマだったら面白いものが書けそうだから、そっちを書かせてくれませんか」と、逆提案してみる。そうすれば、依頼主も満足させられるし、自分にとってもまた新たな勉強になる。またそうやって少しずつ方向を変え、テーマを変えていけば、物書きとしての自分の守備範囲も広がるので、一石三鳥だと。

 ま、そんなことを、ご自身の体験を元に書いていらっしゃる。

 なるほどね。納得。

 だけど、ここが残念なところなんですけど、本書の以後の章では「進みながら強くなる」というテーマはまったく放棄されて、全然別なことが書いてあるんです。

 
 第二章以後は、日本人の特性のことが書いてある。

 鹿島さん曰く、日本ってのは、伝統的に親と子、あるいは親と子と孫が同じ家に住む社会であると。だから、下の世代は上の世代に言われたことを唯々諾々と受け継いでやっていれば済む社会だった。だから、道徳とか倫理面に関しても、改めて教わらなくても、親の背中を見ているうちに伝わるので、それで十分に道徳的・倫理的な社会が維持できた。

 ところが、そこへ西洋的な、というか、イギリス的な核家族の生活様式が入りこんできたため、日本は今、伝統的な社会システムと新しい核家族的な社会システムが中途半端に混じり合った状態になっていて、それが今日の日本社会の混乱をもたらしていると。

 しかし、今後日本は核家族的な社会システムに移行せざるを得ないことは明らかなので、それだったら、もっと徹底的に、核家族的社会システムを成立させるための道徳を導入しないとまずいのではないか。

 では、その核家族的社会システムを成立させている道徳というのは何かというと、「人間は自分の欲望を満足させるために生きている」という身も蓋もない認識を明確に持つ、ということであると。

 しかし、そういうと、それでは皆が皆、自分勝手に、自分の欲望を追求する社会になってしまうではないかという懸念が起ってくるけれども、そうではない。自分の欲望を追求していくと、ある面では逆に利他的な状況も起こってくる。

 例えば、ラッシュアワーに電車に乗ることを考えてみる。

 自己欲望充足の為なら、整列乗車なんて悠長なことは無視して、我先に電車に乗り込んだ方がいい。

 しかし、皆が皆、我先に乗りこむとなると、そこで争いが起き、喧嘩になったりするかもしれないし、そうでなくても押し合いへし合いの大変な状況を潜り抜けることになるので、これが毎日繰り返されるとなると、相当しんどい。

 で、そういうしんどい状況が自分の為にならないとなれば、どうなるか。そう、整列乗車をして、自分より先に並んでいる人が自分より先に乗りこむ、という状況にした方が良いことになる。

 だから、自己欲望充足を突き詰めると、「我先に」よりも、「お先にどうぞ」の方がよほど優れた作戦だということになる。

 一事が万事。自己欲望充足のためには、ある面では他人にゆずった方がいい、ということがあるわけですな。だから自己と他人の間で最善の妥協をするにはどうすべきかをじっくり考えて、そこから社会のシステムを作り上げていくのが一番いいわけ。

 だけど、今までの日本は、中途半端に伝統社会のしきたりを引きずってきたので、そういう「自己と他人の最善の妥協」ということを考えないまま今日まで来てしまった。そこがまずいので、この辺りで一度、そういうことを考えた方がいいのではないか。

 ・・・というのが、本書の第二章以後で展開される鹿島さん流の道徳論なわけ。

 まあ、それはそれで納得ですね。

 
 だ・け・ど、この道徳論を、「進みながら強くなる」というタイトルの元で展開するのは、ちょっとね。

 つまり、この本は、二つの異なる内容のものが、一冊の本の中に同居してしまっているわけですな。それぞれの内容は、それぞれ説得力があるだけに、ちょっともったいないような気がする。それぞれ別な本として展開させるべきだったのではないでしょうか。


 ということで、なんとなく「看板に偽りあり」的な本になってしまっている本書ですが、面白くないわけではないので、その辺、御承知の上で、ということを含めて、教授のおすすめ、ということにしておきましょうかね。


これこれ!
 ↓




 ところで、ちょっと話は変りますが、最近の新書版って、何だか紙質が落ちたような気がしません? 紙の手触りが、以前のようなすべすべなものではなくなって、ざら紙というか、藁半紙的な感じになったような気がする。私の気のせいですかねえ? 出版不況の折りだけに、紙質を落としてコスト削減しているのではないでしょうか? 

 ま、別にコスト削減は別に悪いことではないので、アレですけど、何だかちょっと、新しい本のパリパリの頁をめくる楽しみが減ってしまったような気がして、寂しい感じもしますねえ。本当のところ、どうなんでしょうか。





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Last updated  August 2, 2015 08:56:25 PM
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ゆりんいたりあ@ Re:母を喪う(10/21) 季節の変わり目はなんだか亡くなる方が 多…
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