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釈迦楽

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November 30, 2015
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カテゴリ:教授の旅日記
 先週の金曜日、お休みをいただいて、週末、ちょっと旅行に行っておりました~。9月、10月、11月と、結構仕事漬けの日々だったので、その憂さを一気に晴らしたろうかと。

 で、向かった先は、このところ11月の旅の定番となりました北陸。今回は福井から富山まで縦断する形で。

 まず名古屋から名神・北陸道と通って敦賀を目指します。北陸道を走行中、雪が降り出して、ノーマルタイヤのままの私をヒヤヒヤさせましたが、まあ、なんとか無事敦賀到着。この地で、蕎麦好きとして一度食べてみたかった「辛み大根のおろし蕎麦」を「千束」なるお店いただきます。相当辛いと噂に聞いてちょっとおっかなびっくりだったのですが、それほどでもなく、おいしくいただきました。

 で、そこから日本海沿いの景色のいい道を越前岬を目指してひた走ることに。しかし、このあたり、押し寄せる波が凄い。逆巻くうねりとなった波が岩場にぶつかってドババーーン!と爆発するや、その波飛沫が道路にまで襲いかかるほど。後で聞いた話では、前日に強い北風が吹いて荒れたそうで、波というのは強風の当日ではなく、一日後に襲ってくるのですってね。勉強になります。また、このあたりでは台風で波が荒れることはあまりなく、あくまで冬の北風で荒れるのだとか。

 越前岬では、名物の水仙が既にチラホラと咲きだしていて、近くにあったので立ち寄った水上勉なんかの文学館の管理人のおっちゃんに二、三本、摘んでいただいていただきましたけれども、何とも言えず清新な香りを楽しむことができました。

 それから越前岬のちょっと先、「mare」という海沿いのカフェで一服。ここは目の前に海が見えて、この日のような波の荒れた日にはすごく迫力があっていい感じ。コーヒーもチーズケーキもおいしかったし、店員さんもみな感じがよくて、いい休憩になりました。

 で、この日はさらに海沿いを北上し、芦原の辺りから山の方に向かって走って夕刻に山代温泉着。一昨年、山中温泉に泊まったので、今回は山代温泉をチョイス。

 翌朝、山代温泉の温泉街を散策したのですが、このあたり、北大路魯山人が三十代の一時期滞在したことがあったそうで、その寓居跡を見ることができました。

 で、地元の語り部みたいなおじちゃんから話を伺ったのですけれども、魯山人ってのは、もともと京都あたりの社家の出なんですってね。ただ二男だったもので、生まれて間もなく養子に出され、いわば親戚・知人の間をたらいまわしにされてしまった。だから、学校も尋常小学校の4年間しか通ったことがない。

 だけど天性のものがあったのか、書をよくし、それが認められて書家となり、やがて各地のお大名さんたちの食客となって日本中を経巡ることになった。それで、山代にもしばらく滞在し、どうせ滞在しているんだったらということで、近所の旅館の看板なんかを書いたり篆刻したりしたらしい。

 でまた、そんな感じで諸国漫遊しているうちに、京都で京料理の味を覚え、山代で九谷焼を学び、やがて飛びきりの料理を飛びきりの器で提供する「美食倶楽部」を設立するようになって、それがゆくゆくは星岡茶寮へと結びつくと。

 しっかし、そんな魯山人の生涯を聞きながら思ったのですけれども、昔の日本のゆったりとした文化国家ぶりってすごいなと。

 だって、今、小学校出ただけの、無名の、だけど書はうまい三十歳の男がいたとして、地方のそれなりのお金持ちが「そうか、定職もないのか。じゃあ、食客としてうちにしばらくいなさい。気が向いたら、このあたりの店やホテルの看板でも書いてやって」なんていう条件で何カ月も何年も受け入れることなんてある? 別にその男を育ててどうしようというのでもなく、ただ何となく才能だけはあるらしいから、こいつと書や器や料理の話がしてみたいという漠然とした理由で、どこの馬の骨か分からない奴を食客として家に置くなんてこと、今の世の中にある? 

 で、結果的には魯山人は書や陶芸や料理道で名高くなるわけですけれども、ひょっとして魯山人のように有名にはならなかったけれども、地方地方で食客として扱ってもらった幾百人の魯山人もどきが沢山いたんだろうなと思うと、当時の日本の、その文化的な余裕、懐の深さというものに感慨を覚えずにはおられません。  

 だから私は声を大きくして日本政府に言いたい。大学の先生を「食客」として扱えと。何にもしなくていいよ、遊んでていいよ、気が向いたら、なんか面白いことでも考えてね、と、そういう風に扱えと。そうすることで、沢山居る大学の先生の中の何人かは、後世に残るすごい人になるよと。


 ちなみに、ここまで書いてから言うのもなんですが、釈迦楽家ではね、魯山人なんて別に評価しないの。

 私の母方の祖母は、「魯山人は下品」の一語で、その陶芸作品なんぞ歯牙にもかけませんでした。濱田庄司の作品ですら、濱田が是非にといって送ってくるから普通にご飯茶碗として使ったりはするけれども、それをぞんざいに扱って落として割ったりしても、別にどうとも思わない人でしたから、ましてや魯山人なんて商業主義の一語でバッサリ切って捨てる。その批評眼を、伝統芸として、孫である私も引き継いでいますので、魯山人なんて別にすごいとも思わない。

 ちょっと有名だからって、後世の人全員に評価されるだろうなんて甘いこと考えるなよ、魯山人。わしはむしろ、お前を食客として遇した地方地方のお金持ちの篤志家の方を評価するんだからな。


 さてその後、我らが向かったのは日本自動車博物館。こんなところにあるんですね、自動車好きの天国が。

 日本製外国製問わず、昭和以後くらいの懐かしい自動車がずらりと保存してあり、私としてはめちゃくちゃ面白かったのですが、ここを訪れる人の中には私よりさらに年配のおじさんも多く、「ああ! このクルマ! これ初めて新車で買ったクルマだよ!」みたいな感慨がそこここで聞かれるという。で、それに対して嫌々ついてきているお子さん、お孫さんから、「このクルマが新車の時って・・・どんだけ年寄りなの・・・」などという罰当たりな言葉が漏れたり。

 ちなみに自動車と何の関係があるのか分かりませんが、この自動車博物館の各階のトイレは、世界中から集めた便器が使われていて、お好みでフランス製の便器やドイツ製の便器で用が足せます。

 
 さて、自動車博物館と世界のトイレを堪能した我らが次に向かったのは和倉温泉、なのですが、長くなりましたので、このあたりの話は、また明日にしましょうかね。 





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Last updated  November 30, 2015 02:01:52 PM
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