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カテゴリ:教授の読書日記
今年4月、私の父と同じ88歳で亡くなったロバート・M・パーシグさんの奇書『禅とオートバイ修理技術』(原題:Zen and the Art of Motorcycle Maintenance, 1974)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。
この本のことに触れる前に著者パーシグさんの数奇な人生について触れておきますと、先ず彼はIQ170、15歳でミネソタ大学に入学するほどの神童だったんですな。で、当時彼が専攻していたのは生化学。ところが、科学の分野では、一つの仮説を証明する度に更なる仮説が増えるばかりで、一向に最終的な解決に向かわないことに絶望し、大学2年の時にドロップアウトしちゃう。 で、朝鮮戦争に従軍した後、今度は哲学の学位を取り、インドに留学、さらにシカゴ大学大学院で哲学の学位を取ろうとするのですが、途中で断念(その経緯は本書内に記してある)、ミネソタ大学でジャーナリズムで学位を取得、それをひっさげてモンタナ大学(及びイリノイ大学)で教鞭を執ることに。その間、1954年に結婚して二児をもうけるのですが、モンタナ大学時代、精神を病んで入院を繰り返し(1961-63年)、その際、当時のことですから「電気ショック療法」を受けることになる。 で、この電気ショック療法によって、パーシグはそれ以前の記憶をほぼ、失うことになるんですな。 で、もはや大学で教えることができなくなった彼は、技術的な本のマニュアルを作るライターになって糊口をしのぐのですけれども、そんな頃、1968年に、彼は11歳になっていた長男クリスを連れ出して、オートバイによる長旅に出る。本書『禅とオートバイ修理技術』は、そのオートバイ旅行の記録なんです。 が! もちろん、単なる旅行記、紀行文ではございません。 まず問題となるのは、旅の相棒である息子のクリス。11歳という年齢からして、子供と大人の中間点であることは間違いないのですが、そういう年頃の子特有の扱い難さというのがある。調子のいい時はすごくいいのだけど、何か思い通りにならないことがあるとすぐにふてくされる。そういう扱いの難しい子を敢えて連れ出したというのには、もちろんパーシグなりの理由があるわけですが、それにしても、やっかいな相棒に振り回されることもある。そういう意味で、これは父親と息子の対立の記録でもある。 しかし、パーシグにとって息子クリスよりもっと扱いが難しいのは、自分自身なんです。で、電気ショック療法によって、過去の自分と今の自分に分裂していますからね。その二人の自分を一つにくっつけなければならない。で、その二つに分裂した自分に折り合いを付ける作業が非常に難しいものになることは避けがたい。 ちなみにパーシグは、電気ショック療法で記憶をなくす前の自分自身のことを「パイドロス」と名付けているんですな。で、パーシグには自分がパイドロスであった頃の記憶はほとんどないのですけれども、パイドロスが書き残した文章の断片は読んでいるので、そういった断片から少しずつパイドロス時代のことを思い出していくんです。でも、何しろパイドロスは成功者というよりは、挫折者ですからね。挫折した自分を掘り起こすわけですから、この作業自体、なかなかに辛いわけですよ。 そこでパーシグが持出すのが「シャトーカ(chautauqua)」というもの。これは19世紀後半から20世紀初頭くらいにかけてアメリカで流行した巡回講演会みたいなもので、地方の人々の娯楽と啓蒙を兼ねて実施される教育的な催し物のことなんですけど、オートバイでアメリカの田舎道をブッ飛ばしつつ、パーシグは頭の中で「ひとりシャトーカ」を行い、自分自身で過去の自分の頭の中を探っていくことをするんです。いわば、過去の自分であるパイドロスを一旦突き放し、あたかも赤の他人であるようなふりをして、そのパイドロスがどんな人間だったのか、人々に講演するようなふりをしながらパーシグが探っていくという、そういう回りくどい方法を取るわけ。 つまり、パーシグとクリス親子のオートバイ旅は、一面、実際の旅でありつつ、もう一つの側面では、パーシグが自分の頭の中を経巡る旅でもあるんですな。だから、この旅は二重の旅であって、実際に読者は疾走するオートバイから見えるアメリカ諸州の風景と共に、パーシグの頭の中の風景も見させられることになります。 はい、ここまでが本書の外枠の概要ね。ここから先が内容の説明、すなわち、パイドロスが一体どんな人間で、彼は何を考え、何を掴んだ(と信じた)のか、という説明になります。 が! これが難しいの。だってさ、IQ170の人が必死に考えた哲学的な思考を、私のような盆栽、いや凡才が正確に跡付けられるわけないじゃん。 ということで、ここから先はひょっとして的外れなまとめをするかも知れませんが、とにかくね、パイドロスが追求した唯一の主題は、「クオリティとは何か」ということなんです。 じゃあなんでその主題が出てきたかと言いますと、それはパイドロスがモンタナ大学で教鞭を執っていた時に遡ります。 モンタナ大学でパイドロスはライティングの授業を担当するんですな。つまり、自由作文の指導、みたいな感じです。 で、そこに出席している学生たちは、パイドロスに「文章の書き方」を習いに来ているわけ。 ところが。 パイドロスはそれを教えないのね。書きたいことを書きたいように書けと。しかも、そもそも成績を付けることすら拒否しちゃいます。 それはパイドロスの信念というか、大学というところが、なんかノウハウ的なことを教わって、適当にいい点とって、卒業して終り、という感じになっているのが気に喰わないんですな。だから、成績なんか出さない。そういう方針にすれば、学生は「いい点を取るため」ではなく、本当の意味での学問をするために大学に来るようになるだろうし、単なるノウハウでない何かを学ぶことができるだろうと、そう考えたわけ。 が、もちろんパイドロスの教育方針は大学執行部からの猛烈な批判と圧力を受けます。しかし、それ以上にパイドロスを参らせたのは、学生からも批判されたこと。学生としては、うまく文章を書くコツみたいなものを教えてくれて、頑張ればAをくれる普通の先生の方がいいのであって、パイドロスのような理想主義の先生には困惑しか感じないんですな。 しかし、パイドロスからすれば、いい作文ってどういうものかなんて、教わらなくても分かるだろうと。実際、学生に文章をかかせ、その中から良い物と悪い物を抽出して読み比べれば、どんな愚鈍な学生だってどちらが良いか瞬時に分かると。 つまり、作文における「クオリティ」の上下は、誰にでも瞬時に区別がつくと。 で、そういうもんだよ、と学生を諭しているうちに、パイドロス自身、何で「クオリティ」の差が誰にも分かるのか、否、それ以前に「クオリティ」ってそもそも何だよ? という問いに囚われて行くわけね。 で、ここからパイドロスの「クオリティとは何か」の探求が始まるんですけど、その探求は、ヒュームだ、カントだ、インド哲学だ、禅だ、ギリシャ哲学だ、っていう話になっていくので、難解すぎてよく分かりません。だけど、とにかく「クオリティ」というのは、何かがあって、それに「クオリティ」が付随するのではなくて、事実はその逆、まず「クオリティ」があって、その結果、世界が存在できるようになる、的なことになっていく。 だけど、そういうのは、単に思想的な難しい話というのでは必ずしもなくて、日常生活の中の事象にもすべて当て嵌まるというのですな。 例えばオートバイを修理するにしても、修理する自分がいて、修理されるオートバイがあるという状況、すなわち主体と客体が分れているような状況では、きちんとした修理は出来ないのであって、要はオートバイ修理に熱中するあまり、主体も客体も無くなるような状況が生じた時にこそ、「クオリティを見つめている」状態なのだと。また、一人の人間がクオリティを見い出すことによって、それが積み重なって世界を変えることにもつながると。 まあ、この部分だけ取り出すと、パイドロスの「クオリティ」の概念ってのは、チクセントミハイの「フロー」概念に似てるし、「個人の中身を変えることが外側の世界を変えることにつながる」という発想は、自己啓発思想そのものにも似ているなあと思うのですけれども、しかし、パイドロスのクオリティ概念をそんな風にまとめていいものかどうか、私にはよく分かりません。 ま、とにかく、そうやってパイドロスは、実は「クオリティ」こそがこの世で一番重要な概念なんじゃないのかぁぁぁぁぁっ!!っていうことを掴むわけ。で、そうやって興奮しちゃって、それでシカゴ大学の大学院で、自分の掴んだクオリティ概念を引っさげて、高名なギリシャ哲学の先生方と論争し、アカデミックな勝負には勝ったけれども、世間知に長けた邪悪な教授連によって試合には負ける、的なことが起こり・・・ で、精神の病に陥り、電気ショックを受け・・・の流れになっていくというね。 まあ、でも、そういうパイドロスの在りし日の格闘を、このオートバイ旅を通じてパーシグは完全に思い出す。それはある意味、パーシグが癒えていく過程でもあったわけですな。 だもので、最後の最後、息子クリスとの決裂寸前の親子喧嘩の後、どうやら二人の関係が修復するようなことがほのめかされて、この長い長い旅の物語は終ります。 この本、原稿の時点では121人もの編集者から出版を断られるのですが、ついにある出版社が出版を引受けてくれたんですと。それも、「価値があると思うから出すけれども、多分売れないよ」という予告付きで。ところが1974年に実際に出版されると、じわじわと評判になり、最終的には世界で500万部が売れる大ベストセラーになったと。 ちなみに、私の恩師である大橋吉之輔先生は、ちょうどこの本が出た頃にシカゴ大学で在外研究をされていて、その頃、会う人毎にこの本を勧められたんだそうです。で、実際に読まれて、ものすごく感動された、ということをどこかにお書きになっていた。そのことは私も知っていたのですけれども、今回、この本を読み終わって、今は亡き恩師とこの本について語るスタート地点にようやく立てた、という感じ。 さらにちなみにですけど、この本の主題であるオートバイ旅は、1968年に行なわれたそうです。 1968年。『2001年宇宙の旅』が公開されたのもこの年で、このブログでも最近よく取り上げる特別な年ですけど、この本もまた、1968年の旅を元に書かれた。『2001年』も『禅とオートバイ修理技術』も、共に「旅によって生まれ変わる物語」なんですけどね。 さらにさらにちなみにですけど、この本に登場する息子のクリス君、なんとなんと、1979年11月17日に強盗(?)に殺されたそうです。色々劇的ですな・・・。 ということで、難しいっちゃ難しい本なんですけれども、何故か人を惹きつけてやまない不思議な本。興味のある方は是非。 禅とオートバイ修理技術(上) (ハヤカワ文庫) [ ロバート・M.パーシグ ] 禅とオートバイ修理技術(下) (ハヤカワ文庫) [ ロバート・M.パーシグ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 24, 2017 10:27:56 PM
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