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釈迦楽

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May 14, 2020
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カテゴリ:教授の読書日記
全国各地で緊急事態宣言解除が検討され、愛知県でもそろそろというこの時期、大学からメールが来て、6月末までの大学閉鎖措置を・・・9月末まで延長、とのこと。

 え¨ーーーーー! 解除じゃなくて延長? 世間に逆行してないかい???

 最初はGWまで閉鎖と言っていたのに、それが5月末までに延び、さらに6月末まで延び・・・と日和見的にずるずると延ばしておいて、今度は日和見の逆、世間の逆を行って9月末まで延長って。どうかしているんじゃないだろうか・・・。だったら名古屋大学みたいに、最初から「前期はすべて遠隔授業で」と言ってくれればいいのに。


 それはともかく。


 ジェリー・ガルシアの『自分の生き方をさがしている人のために』(原題:GARCIA: A Signpost to New Space, 1972.  草思社版は片岡義男訳、1976年刊、1998年に新装版が出て、2005年時点で第5刷)という本を読了したので、心覚えをつけておきましょう。

 ジェリー・ガルシアって言って、今の若い人に通じるのかなあ? グレイトフル・デッドのメンバーだよね、って言っても、そもそもグレイトフル・デッドを知らないんだから。そのうち、ジョン・レノンが、って言っても通じないし、ほら、ビートルズの、って言ってもやっぱり通じなくなる日が来るんだろうな。

 まあ、いいや。とにかく、1965年結成のロックバンド、グレイトフル・デッドのギタリスト、ジェリー・ガルシアに、『緑色革命』を書いたイェール大学の先生、チャールズ・ライクがインタビューした、そのインタビュー集が本書『自分の生き方をさがしている人のために』でございます。と言っても、抄訳らしいけどね。

 前にこのブログで取り上げた『緑色革命』で、著者のチャールズ・ライクは、60年代末から70年代にかけて、「意識Ⅲ」と彼が呼ぶ意識を持った新世代の若者がアメリカ各地に登場し始めている、というようなことを述べたわけですけれども、その『緑色革命』が結構評判になったので、調子に乗ったチャールズ・ライクが、そういう若者たちのアイドルの一人であるジェリー・ガルシアに突撃インタビューしちゃったと。悪く言えば「二匹目の泥鰌を安易に狙った」とも言える企画ですけど、結果から言えば、この時代の若者の一つの典型としてのジェリー・ガルシアの生き方や、彼が生きた時代環境を拾い上げた本として、そこそこ貴重なモノになったのではないかと。

 で、そのガルシアですけど、1942年生まれ。父親はミュージシャンだったようですが、早くに亡くなったので、ガルシアはあまり父の影響は受けていないらしい。母親は看護婦だったとのこと。

 あとはまあ、よくあるパターンですけど、音楽にはまって、なんとかギターを手に入れ、楽譜は読めなくてもとにかく独習で何となく弾けるようになり、仲間を集めてバンドを作り、地元で歌い始めて次第に名前が売れて。で、15歳の時、ガルシアは学校なるものに愛想を尽かしてドロップアウト。そのうち彼女さんが妊娠したので結婚と。

 で、結婚したり子供が生まれたりというので、一時、就職もしてストレートな生活を試みたこともあったようですが、ドラッグ体験の中で、これは自分らしい生き方ではないと悟り、あっさり元の素人音楽家の道へ逆戻り。ガルシア曰く、まさにドラッグによって「解放」された瞬間だったとのこと。

 で、ガルシアのドラッグ経験では、フォーク・ミュージックが出てきた時にまずマリファナが出てきたんですな。その後、スピード(アンフェタミンとかメセドリン)が出てきて、次にメスカリンが出たけど、これは入手困難だったそうで。それから幻覚性アルカロイドのペイオーテなどを試したと。

 で、1964年頃になっていよいよ例のLSDが登場する。曰く「LSDがぼくたちのシーンに登場してきたのは一九六四年ごろだったと思う。LSDという名前を聞き始めたのが一九六三年くらいで、手に入りだしたのが六四年ごろだ。」(48頁)

 当時はアメリカ政府自体がスタンフォード大学に依頼して各種ドラッグテストをやっていたんですな。だからガルシアの仲間であるハンターなども、このテストに参加して、メスカリンやサイロシビン、LSDなどを飲まされ、白い部屋に入れられて、どうなるか観察されたりしたのだとか。一方で、作家のケン・キージーもまた、どこから仕入れてくるのか、そういうドラッグを入手しては独自の実験をしていたらしい。

 で、そのケン・キージーが主催していたのが、例の「アシッド・テスト」というイベントで、サンフランシスコ郊外のパロ・アルトにあるビッグ・ビートというナイトクラブで行われた第2回のアシッド・テストにはグレイトフル・デッドも参加したのだそうですが、中心はケン・キージー率いるメリー・プランクスターたちで、当然、ニール・キャシディもいれば、ティモシー・リアリーもラム・ダスになる前のディック・アルパートもいたし、スチュアート・ブランドもいた。要するに、西海岸のドラッグ・シーンのすべてがそこにあったんですと。ちなみに、やっぱりこういうところで存在感を発揮するのは、ニール・キャシディなんですって。天性のインフルエンサーなんでしょうな。ケン・キージーの方は、むしろプロデューサーっていう感じで、高みから見ているところがあるようで。

 ただ、ちょっと面白いと思ったのは、同じドラッグ・シーンでも、ジェリー・ガルシアたちのようなミュージシャン系と、キージーたちのようなスタンフォード大学系の人々では、微妙にすれ違いがあったということ。ガルシアからすれば、やっぱりスタンフォード大学系の人たちというのは、真面目で、ドラッグをやるにしても、その結果どうなるかの実験をしているようであったと。一方のガルシアたちは、ひたすらハイになって、そのハイな気分のまま演奏になだれ込む的な、いい意味でも悪い意味でも生活の一部、人生の一部としてドラッグをやっていたんですな。

 だけど、いい時代ってのは長く続かなくて、LSDは非合法化され、キージーやらリアリーやらは逮捕されてしまい、サンフランシスコのドラッグ・シーン、ヒッピー・カルチャーの中心地であったヘイト・アッシュベリーも『タイム』誌を始めとするマスコミの恰好の標的となり、そうなると物珍しさで、外部から人が押し寄せるようになってしまって、1967年の夏頃にはもうこの地もかつての意味を失ってしまったんですと。

 でもジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドの仲間たちは、それはそれとして、自分たちのやりたいことをやり続けていく。それができたのは、やっぱりガルシアたちが、音楽が好きで、それ以外のことにあまり興味がなかったから、なんでしょうな。

 で、ガルシアのこのインタビューを読んでいて、非常に気持ちがいいのは、こと音楽ということに関してガルシアには雑念がないというか、尽きせぬ興味と愛情があって、どんな状況でも気張らずに続けていくというスタイルが確固としてあることですね。

 ガルシアは、どんな音楽でも好きだし、興味があるし、どんなにつまらない音楽であっても、それは人に害を与えるものではないし、別にいいじゃないかという感覚があって、色々なものを取り入れる。ビートルズももちろんすごいと思っているし、チャック・ベリーも、ディランも、CS&Nも、ニール・ヤングも、ジャニス・ジョプリンも、いいなと思っている。イギリスのある種の音楽、例えばエルトン・ジョンのヒット曲などは、ちょっと出来過ぎでソウルがないと思っているところもあるけれども、だからといってエルトン・ジョンを馬鹿にしたり、毛嫌いするわけでもない。

 しかも、自分たちグレイトフル・デッドが作る音楽は、上に挙げた連中のような大ヒットを生み出すようなバンドではないと思っていて、だけど、自分たちがやりたい音楽を好んでくれる人たち(=デッド・ヘッド)がある程度の数いるということも分かっていて、そういう人たちがハイになれるようなものを提供し続けたいと思っている一方、昔と比べて少し有名になりすぎて、コンサートを開いても当日券が買えずに、会場の外に何千人も屯してしまうような状況を悲しんでいるフシもある。

 なんだろう、こういう身の丈感というか、その辺の実にナチュラルなところがいいよね~。

 とはいえ、何しろ音楽が好きというだけで集まって、ドラッグやって音楽作って、という連中ですから、世間知らずもいいところ。だからそんな彼らが有名になるにつれ、彼らを使って儲けようとする連中も当然出てくる。で、グレイトフル・デッドもマネージメント方面ではずいぶん大人たちに騙されて、借金を背負わされたりもしたようですが、そういう悪状況の中でも仲間割れもせず、少しずつ賢くなってマネージメントも自分たちの手でやるようになり、今では、結構、いい感じで物事が動いていると。チャールズ・ライクがインタビューした頃のガルシアたちってのは、そんな状況だったらしい。

 で、この当時(1970年代初頭)のガルシアの音楽への向き合い方というのは、グレイトフル・デッドとしての活動を続けつつ、ガルシア単独でのレコーディングもやって音楽的な実験をしてみたいというところもあり、またレコード会社と契約するのではなく、自分たちでレコード会社を作って、20万枚とか30万枚という小規模ながら、何回ターンテーブルに乗せても劣化しないような丈夫なLPレコードを作りたいという希望も持っていたんですな。特にこの、「自分たちのレコードは自分たちで作る」という発想
は、ヒッピー・カルチャーの一つの遺産である「DIY」の精神が窺えるところで面白いなと。

 しかし、このインタビュー集の一番のハイライトは、やはりガルシアが自身の、そしてグレイトフル・デッドというバンドの、役割のようなものを語っている場面。そのあたり、引用してみましょう:


ライク:ハイになることが、なぜ、重要なのだろう。ハイでいることが、なぜ、大切なのだろうか。ハイになって、その人自身あるいは世のなかやコミュニティにとって、どんないいことがあるのだろうか。

ガルシア:ほんとうにハイになるということは、自分を忘れてしまうことなんだ。自分を忘れるとは、ほかのすべてのものを見るということだ。ほかのすべてを見るとは、つまり、宇宙のなかで意識あるひとつの有用な道具になることだ。誰でもみんな、こうなるべきだと思う。ハイになるのが大事だとぼくが思うのは、こういう理由による。
 
ライク:薬で完全にのびてしまったり意識を失ったりするのは、ハイとはまったくちがうことなのだね。

ガルシア:ぼくがいま喋っているのは、意識を失うことではなくて、意識をできるかぎりいっぱいに広げることなのだ。それに、グレートフル・デッドが自己完結的なものだともぼくは言っていない。ハイになることそのものを目的にしているわけでもない。グレートフル・デッドは、標識みたいなものだ。その標識がいったいなにを告げているかというと、空間はとてつもなく広く、その新たなる空間のほうへぬけだしていくと、ありとあらゆる体験の可能性が充分にのこされている、という事実を告げている。ぼくたちは、一種の標識だね。広い空間の存在を指し示すと同時に、危険や困難、それに失敗などをも、指し示している。そこにあるものすべてを指し示しているんだ。ぼくたちがほんとうに自分たちの機能を発揮しているときには、そうなんだ。(145-6頁)

 
 ちなみに、「空間」っていうのはガルシアの好きな言葉らしく、このインタビューの中でもしばしば登場します。そして彼の中では多分、「空間」という言葉は「可能性」という言葉と同意なんじゃないかという気がする。あくせくすることもないし、焦ることもない。人と競争することもない。だって、どちらを向いてもそこら中に「空間」があるじゃないか。人はみな、自分の好きなことをすればいいんだよ、自分たちだってずっとそうやってきたし、っていう。そのことを、ガルシアは、音楽を通じて指し示そうとしてきた、小なりと言えども社会の中の標識たらんと、そう考えてやってきた、ということなのでありましょう。

 あともう一か所、印象的な部分を引用しますが、それは人と人とのコミュニケーションについてガルシアが語っているところ。人はそれぞれ好きなことをすればいいんだけど、それでも人と人とはコミュニケートできるんだよ、だってもともと一つなんだから、という趣旨の発言です:


ガルシア:(略)この宇宙には基本的な前提があるんだ。この宇宙のなかに生きているかぎり、どうまちがったって知らずにすますことのできっこない、誰でもが知ることのできる大前提がある。ぼくは、その大前提を、コズミック・コンスピラシー(宇宙的共同謀議)と表現しているけれど、ぼくたちは生まれながらにして宇宙とつながっているし、生物学的な次元の問題としては、誰でもこの事実を承知している。ごく表面的な問題、たとえば、生きていくあいだに自分の身の上におこってきたことがらなどは、自分のすべてを包含しているひとつの容器である自分という存在にくらべると、なにほどのものでもない。この容器には、どれにも、似かよった点がある。ぼくたちはすべてひとつの有機体だし、ひとつの宇宙のなかにいるし、みんなおなじことをやっている。誰もが知っていることは、こんなふうなことなのだろうと思う。ほんとうは誰もがひとつにつながりうるのだけれど、ひとりひとりのあいだに存在するつまらない小さな差異が、ぜんたい的なコミュニケーションをむずかしくしているのではないだろうか。それに、人間たちは、自分たちはずっとこの宇宙にいつづけるのだ、と考えてきた。宇宙が変化し、その変化のなかで人間が出来てきたにもかかわらず、自分たちの出現の段階で変化をストップさせ、いまの状態を恒常的なものにしようとしてきた。だが、そんなことは、成功しっこない。この宇宙で、ずっと以前からなにがおこっているのかというと、変化がおこっているんだ。だから、変化というものは、あらゆるもの、あらゆることに関して、肯定できる。自分たちだって変化していけるのだし、変化をつくりだしていけるんだ。自分の役目は、変化をつくりだすことなのだ、と知ったうえで、変化をつくりだしていけばいいんだ。

ライク:変化、つまり、新たなる空間を目ざして、共同謀議がおこなわれているのだね。

ガルシア:その共同謀議にとっていちばん大切なのは、ある種の信頼関係だね。たとえば、昔、帝国をつくりあげるときには、血縁関係が信頼の関係だったのだけど、いまでは、ぜんたい的なファミリーとしての信頼の関係だ。グローバル・ヴィレッジとしての信頼だ。ぼくたちはみんな地球の子なのだ。宇宙の途方もない大きさをまえにして、ぼくたち地球の子にとっては、いっしょにひとつのところにかたまっているのがいちばんいい。いまほんとうに生まれてきているのは、この地球の子としての意識だ。(後略)(155-6頁)


 いくつか面白いワードが出てきていますが、まず「コズミック・コンスピラシー」という言い方。前にこのブログで紹介したマリリン・ファーガスンの『アクエリアン革命』、あの本の原題が『The Aquarian Conspiracy』だったのを思い出します。あの本の中で「コンスピラシー」という言葉は、「期せずして誰もが同じことを考え、結果として一つの革命がおこる」という意味合いがありましたが、ガルシアが言っている「コズミック・コンスピラシー」にも同じ意味合いがありそうです。

 あともう一つ、「グローバル・ヴィレッジ」ね。マーシャル・マクルーハンが1962年の著書『グーテンベルクの銀河系』で用いた用語で、現代文明(例えばテレビやラジオの発達)のおかげで、地球の中に地域格差がなくなり、一つの村になる、という意味合いで使った言葉ですけれども、『ホール・アース・カタログ』世代のガルシアには、もっと明確に、頭の中に宇宙に浮かぶ地球の姿が描かれていたんでしょうな。「ぼくらはみんな地球の子」って、いいじゃないの。


 というわけで、ジェリー・ガルシアってどんな人だったのかということが、本書を読んでよく分かりました。とても感じのいい人ですよ。友達になれそう。ティモシー・リアリーとかだと、ちょっと友達になれそうもないけれど、ガルシアは大丈夫。そのことが分かっただけでも、この本、教授のおすすめ! と言っておきましょう。片岡義男訳ってところも、趣がありますしね。

 それにしても、ガルシアにインタビューしているのがチャールズ・ライク、そのライクの教え子がクリントン元大統領、そのクリントン元大統領は、ガルシアがデザインしたネクタイの愛用者って、なんだか三題噺みたいで面白いですな。


これこれ!
 ↓
ジェリー・ガルシア『自分の生き方をさがしている人のために』





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Last updated  May 15, 2020 12:54:06 AM
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