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カテゴリ:教授の読書日記
前にスウェーデンの神秘家、エマニュエル・スウェーデンボルグの思想がどうやってアメリカに渡ったかということを調べていて、ジョニー・アップルシードがそれに関わっていた、ということを知りまして。ジョニー・アップルシードってのは、アメリカ中を旅しながら、リンゴの苗木を売って歩いた伝説の果樹園業者なんですけど。
「as American as apple-pie」(アップルパイみたいにアメリカ的)っていう言葉があるくらいで、リンゴってのはアメリカを代表する果物であるわけですけど、それをアメリカ中に広めたという点で、ジョニー・アップルシードは、まあ話半分としても、なかなか興味深い伝説的人物なわけ。 で、そのアップルシードがスウェーデンボルグ主義者だったというところが、私にとってはさらに興味深いところで、そうなると彼はリンゴと共にスウェーデンボルグの思想をアメリカ各地に植え付けて回ったということになる。話としては相当に面白いわけですよ。 で、そんなジョニー・アップルシードについて詳しい研究者といえば、それはもう亀井俊介先生を置いて他にない。先生の有名な『アメリカン・ヒーローの系譜』という本の中で「ジョニー・アップルシード」の名前を初めて聞いたという人(かくいう私もその一人)も多いはず・・・。 で、では亀井先生はジョニー・アップルシードとスウェーデンボルグの関係について、どのように書いていらっしゃるか。そこが知りたいところなのですが・・・私の書架に『アメリカン・ヒーローの系譜』がないと。 いや、元はあったんですよ。もちろん。だけど、学生か誰かに貸したりしているうちにどこかに行っちゃったのよ。で、そのことが確認できずにいたのですが、結局、再度この本を手に入れまして、ようやく確認することができました。そしたらね、やっぱりさすが亀井先生なんだなあ。ちゃんとアップルシードとスウェーデンボルグの関係について、『アメリカン・ヒーローの系譜』の中に言及してありました。 で、それによると、アップルシードはスウェーデンボルグの教えを奉ずる「ニュー・チャーチ」(正確にはニュー・ジェルザレム・チャーチ)に帰依し、その思想をアメリカ中の人々に伝えようとしたんですな。で、アップルシードが生きていた時代には、まだニュー・チャーチは発足間もない頃だったので、チャップマン自身、最初期の信者の一人だったらしい。そして彼はこの教えを広めるために、ニューチャーチのパンフレットを教会からもらうために、全米各地にあった自分の土地(すなわちリンゴの苗木の栽培地)を提供する交渉をしていたらしいんですな。ま、パンフレットをもらうためという現実的な目的もあったようですが、アップルシード的には、そうやって自分の土地を得たスウェーデンボルグ協会が、その敷地に新しい教会とかカレッジでもぶっ建ててくれたらいいな、という希望というか野望も持っていたようで。 もっとも、アメリカ西部の開拓最前線で苦労している入植者たちにはスウェーデンボルグの教えはちょっと難しすぎたようで、アップルシードの布教活動はさほど実を結ばなかったという説もある。しかし、その一方、チャップマンの努力により、1820年から40年にかけて、オハイオ地方に相当な数のスウェーデンボルグ協会が出来たという説もある。(その辺のことについては、Robert Price という人の Johnny Appleseed: Man and Myth や、Henry A. Pershing の Johnny Appleseed and His Times という本に詳しいらしい。) 亀井先生の『アメリカン・ヒーローの系譜』に書いてあるのは、ざっと上のような簡単な説明だけでしたけど、元ネタとなった本の存在も知れたし、今後はロバート・プライスやパーシングの本に当たってみようかなと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 22, 2020 04:10:45 PM
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