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テーマ:今日の出来事(289580)
カテゴリ:教授の読書日記
今日はかつての教え子・・・と言ってよいのかどうか、しかしまあ、数年前に大学院生として教えた修了生のNさんが研究室に遊びに来てくれました。
なぜ教え子と呼ぶのをためらうかというと、その方は80歳台で、私の親と言ってもいいくらいのお歳だから。高校の校長先生を定年まで勤め、その後、アメリカや中国で日本語を教える仕事に何年か就いた後、勤務先大学の大学院に改めて進学され、修士号を取られたんですな。ですから、教え子とは言え、人生の上では大先輩。 近況を伺うと、80歳台になられた今も、相変わらず地元で愛好家を集めて読書会を主催されたりしているとのこと。スマホを操られる姿はとてもそんなお歳とは思えない。いやはや、頭が下がります。 で、そのNさんと今日は色々なお話をしていたのですが、Nさんはその修士論文のテーマであるディラン・トーマスについて、まだ書き足りないことがあるとのことで、修論を書き終えた後も引き続き彼のことをあれこれ考えておられるらしい。 ディラン・トーマスというのは、イギリス・ウェールズ出身の詩人。定職に就かずに筆一本だったものだから、イギリス時代はしばしば困窮したらしいのですが、50年代にアメリカで流行したポエトリー・リーディングの波に乗り、何度か講演に招かれたことを機にかの地で文学的スターとなり、大分生活が楽になったのだとか。もっとも、悪銭身に付かないタイプの人なので、せっかく稼いだお金も酒や女にじゃんじゃん使ってしまったようですが。 で、Nさんによると、ディラン・トーマスの作風は基本的にはモダニズムらしいのですが、Nさんの見るところ、それだけではなく、ポスト・モダン的な部分もあって、その一面として、彼の作品にはポピュラー・カルチャーとかサブ・カルチャーとの親和性があったのではないかと。そういう意味で、それこそ彼の影響を受けたボブ・ディランの歌詞とか、あるいは、もっと強引に言えば、それこそ村上春樹的なポップな感じがディラン・トーマスにはあった。実際、ディラン・トーマスが書いた短編小説は村上春樹的なところがあるのだそうで。 そういう意味で、アメリカの今日の文学の在り方に及ぼした影響力という点では、ディラン・トーマスの存在は、これまで考えられている以上に大きいのではないか、というのがNさんの見立てなのだそうで、そういうことを検証するようなものを書きたいと。 いや~、素晴らしいでないの。なかなか面白い。 そんな意気軒高たるお話を伺っている中で、たまたま話題が今、巷で売れているというカミュの『ペスト』の話になりまして。 で、Nさんは最近、その『ペスト』を再読されたのですが、50年くらい前に読んだ時には、やれ実存主義だとか、不条理だとか、そういうカミュに冠される様々なキャッチフレーズに邪魔されてよく分からなかったのだけれど、今、改めて読み直したら、まるで新聞記事でも読むみたいにすごくサクサク読めたと。つまり、ドキュメンタリーとして最良の部類だ、というのですな。 しかも、ペストによって人生を狂わされた人のことだけでなく、ペストの状況で得をする人、それに順応してしまう人のこともちゃんと描いていて、それはまるで、コロナ社会の中でスーパーとかホームセンターなどが儲かってしまった状況に似ている。単に災害として否定的に書くのではなく、そういうところまでちゃんとカミュは描いている、というのですな。だから、古さがないと。 ふーん! そうですか! 私も大昔に一度読んだまま、どんな内容だったかはすっかり忘れているんですけど、Nさんにそこまで言われてしまうと、これはちょっと、ワタクシも再読した方がいいのかな、という気にもなってきます。 いやあ、さすが、人生の大先輩。勉強になりますなあ。 ということで、今日は短い間でしたけれども、まさに負うた子に教わる一日となったのでした。マジで、『ペスト』、読もうかな・・・。 これこれ! ↓ ![]() ペスト (新潮文庫) [ カミュ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 9, 2020 06:32:52 PM
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