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カテゴリ:教授の読書日記
このところ明治末期の自己啓発雑誌『成功』にまつわる論文を読んでいるのですが、またまたちょっと面白い論文を見つけましたので、心覚えをつけておきます。永谷健という研究者が書いた「明治後期における「成功」言説と実業エリート」(『三重大学 人文論集』35号、2018年)という論文なのですが。
例えば松下幸之助の有名な自己啓発本『道をひらく』をはじめとして、実業界の成功者の伝記や自らの成功体験を綴った執筆物が自己啓発本として読まれ、ベストセラーになる、ということは今でも多いわけですけれども、そういう風習は一体いつごろから発生したのか、というのは、自己啓発思想史を考える上で一つ、興味深い問題でありまして。で、本論を書かれた永谷先生に拠りますと、こういうことは明治以降、もう少し厳密に言うと明治38年頃から、日本が産業化していく過程で生じてきた現象であると。 それ以前は事情が全く異なります。それ以前、商業的な成功を収めた者は「奸商」とか「御用商人」とか呼ばれて、むしろ悪評高い存在――すなわち「プレモダンな賤商意識」の中でやっかみ半分に蔑まれてきた存在だった。つまり商業的成功者は、どこかの時点で軽蔑の対象から尊敬の対象へ切り替わったはずなのであって、それが明治38年頃だったと。 例えば明治22年の『国民之友』の記事は、明治維新後に成功した商人を「藩閥政府の寄り木たる、食客たる御用商人達」と決めつけ、「政府を透して人民の租税に衣食せし者」などと悪口を書いているし、明治23年の『日本人』という雑誌には、実業界の人々を「今日商業社会に勢力ある者は・・只他を倒し、己を利せんことに汲々たる狡猾卑劣者流」と罵っている。でまた、マスコミが財閥などをクソミソに攻撃したことをきっかけに、三井銀行や第一銀行の取り付け騒ぎなども起こるなど、成功者の側からも、厳しい世論を意識せざるを得なくなるような状況が続いていたと。 ところがこれが明治30年半ばになると、日本に「成功ブーム」が訪れるんですな。で、明治35年10月10日に創刊された『成功』誌がこのブームをあおる一方、もう一つ、明治30年6月10日創刊の『実業之日本』誌も、それまでは普通の経済誌であったものが、明治36年から若年層を想定読者に据えた成功を推奨する啓蒙雑誌へと変貌し、この二誌が中心となって、日本の若い世代に「成功」への憧れを植え付けることになると。 一つ不思議なのは、この明治30年代半ばの成功ブームが、日清戦争後の戦勝ブームが終わり、企業倒産が相次いで失業者が増えるといった恐慌のさなかに起こったということ。 キンモンスなどの研究者は、この理由について、「不況の代替もしくは代償という意味を含んでいた」と解釈する。つまり好景気で一旦過熱した人々の野心が、その後の恐慌によって行き場を失い、その行き場のない野心の受け皿として、成功言説が普及したのであろうと。 しかし本論の執筆者である永谷さんは、キンモンスの指摘も妥当かも知れないけれど、もう一つ、直接的な要因があったのではないか、と指摘しております。 じゃ、その直接的要因とは何かと申しますと、明治34年9月、時事新報が紙面に掲載した「日本全国五十万円以上の資産家」という大特集。これは日本の資産家を網羅的に調査して、三井三菱等の財閥系はもとより、渋沢栄一とか、大倉喜八郎とか、安田善次郎とか、そういう明治期の代表的な成功者の資産を調べ上げたもので、いわば日本における最初の「資産家リスト」だった。で、この記事は、当時、相当ショッキングだったらしく、同類の記事が他のメディアにも踊った他、この記事を引用した書物なども数多く出されたとのこと。 で、もちろん、こういう資産家たちに対して批判的な言説もあったものの、恐慌期にもこれだけの資産を持っている人たちがいるということに対し、「大したもんだ・・・」という素直な驚きを抱いた向きも多かったと。 で、先に述べたように、この頃『成功』や『実業之日本』などの雑誌が成功ブームをあおっていたという話をしましたが、これらの雑誌は創刊当時、海外の著名な富豪や成功者の経歴や苦心談、成功の秘訣などを載せていたんですな。 例えば『実業之日本』誌は、海外富豪の伝記としてトーマス・クック(旅行業)、ウィリアム・ヘスキス・リーヴァ―(石鹸製造)、ジョン・モルガン(金融業)、ジェームス・ワット(発明家)などについての記事を掲載していたし、明治35年9月から11月にかけ、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの著書『The Empire of Business』の抄訳を「致富の栞」という欄の中で6回にわたって掲載し、これをまとめた『実業の帝国』(小池靖一訳)を本として売り出してベストセラーにするなど、同誌の発展は、いわば海外富豪の成功談によると言っても過言ではなく、先に述べたように、こうしたことがきっかけで同誌は編集方針を「成功礼讃路線」へ舵を切ることになるわけ。 でまた、こういう成功者たちの成功へのプロセスを語る上で、投機的な成功を求めることなく、貯蓄を重視し、倹約を旨とし、勤勉に勤めたから、こういう成功を収めたのだ、というような、非常に道徳的な側面が強調されたと。 同じ頃、明治35年に『立志成功:致富商策』(商業講習会纂)という本が出て、この本も成功するためには「心術の修養」が必要で、その心術は「専心」「正直」「勤勉」「忍耐」「節倹」「細心」「果断」「度量」であるとし、それぞれの徳目に秀でた成功者として、たとえば「専心」に秀でた人としては古川市兵衛とヘンリー・ハイド、チャールズ・シュワッブが挙げられ、「勤勉」は渋沢栄一、「果断」は大倉喜八郎やロスチャイルド、「度量」は岩崎弥太郎やコーネリアス・ヴァンダービルトを挙げるといった調子で、その業績を紹介していった。 とまあ、そんな感じで、大富豪っていうのは、ずるい連中だから大富豪になったのではなく、徳が高いから大富豪になったのだ、という、富豪礼讃の言説に変化していくわけ。で、その中で、海外の富豪・成功者だけでなく、日本の富豪・成功者もその例として挙げられていくようになってきたのであって、ここにおいて(日本の)実業家たちは、自らの成功事績を正当化するチャンスが与えられるようになった。 要するに、ここが、商業的・経済的成功者が、「奸商」とか「御用商人」といった悪評を脱した契機だったんですな。で、それと同時に、彼らの発言は、成功の具体的なノウハウとかそういうことより、むしろ「着実」「正直」「勤勉」「健全な成功を期すること」等々、道徳的教訓を垂れることへとシフトしていく。 では、なぜ実業家たちは、そういう発言をするようになったのか。そしてまたなぜメディアは、実業家たちからのそういう発言を引き出そうとしたのか。 永谷先生に拠りますと、ここで「高等遊民」の問題を踏まえる必要が出てくるんですな。 実は明治38年頃から高等教育進学者の就職難問題というのが生じてきていたと。で、この問題は明治40年代に入って(日露戦争終結後の恐慌により)さらに深刻化する。事実、例えば東京高等商業学校の卒業生の中で就職未定者の割合の推移をみると、明治36年から42年の7年の間に、17.8%、11.6%、13.4%、34.8%、33.5%、27.8%、36.9%となっていて、相当深刻であることが分かる。 で、要するに、高等教育を受けた者たちは、たいてい大手へ、具体的には銀行や大企業に就職しようとするんですな。つまり俸給生活を狙う。と、そこで競争率が高くなって、落ちこぼれて就職できない若者が増えると。この、高等教育は受けたけれど、就職先がなくて遊んでいる連中こそが「高等遊民」であったわけでありまして。 じゃ、どうすればいいか? そんなのカンタン、俸給生活を狙うのではなく独立自営すればいい。要するに、起業すればいい。そもそも独立自営のためには、必ずしも高い学歴は必要ない。そんなものよりも、着実・正直・倹約・勤勉にやればいい。事実、日本の富豪の多くは、そうやってきたんじゃないか。 ここにおいて、この時期の日本は、高等教育を受けた若者の目を俸給生活志向から引き剥がし、実業界へと向けさせ、もって就職難を解消し、「高等遊民」の数を減らすために、日本版カーネギーとも言うべき一連の成功者たち、すなわち渋沢栄一とか安田善次郎とか、そういう実業界のヒーローを必要としたわけですな。 とまあ、そういう事情があって、日本の成功した実業家たちの言説が、自己啓発本となっていく契機が生まれたと、永谷先生は喝破しておられるわけ。 なるほどね~。非常に説得力あり。夏目漱石がしばしば描く「高等遊民」と自己啓発思想が、こういう風に交差するわけか~。 ということで、このあたりの事情について理解する上で、非常に役に立つ論文だったのでした。勉強になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 21, 2021 04:36:15 PM
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