ほんの小冊子とでも言えるほどの薄い本なのに、随分、読み通すのに時間がかかりましたが、ようやく『チベットの死者の書』を読み終えたので、心覚えをつけておきましょう。
これ、人が死の床に横たわり、今まさにあの世に行こうとしている時、枕元で上げるチベット仏教のお経でありまして、要するに死のうとしている人が無事、ストレートに解脱して成仏できるようにするための、ありがたい、実利のあるお経なんですな。
ま、これがそういうものとして存在しているのは分かる。お経って、そういうもんでしょ。
だけど問題は、そのチベット仏教のお経が何故に今日、西洋社会にまで広まっているのか、というところにある。そこがね、この話の面白いところなわけ。
実は、このお経が世界的にチョー有名になったのは、ひとえに一人のアメリカ人のおかげなんですな。しかもそのアメリカ人ってのは、いわばヒッピーの先駆けみたいな奴でありまして。
そのヒッピーの名前はエヴァンス・ヴェンツ。1878年生まれで、12歳の頃から輪廻転生に興味を抱き、神智学協会の出版物を耽読して、サンディエゴにあったアメリカ神智学協会のマダム・ティングレーの影響を強く受けるようになったと。
はい、出ました神智学協会。これは先日、本ブログの中にも登場した心霊術詐欺師マダム・ブラヴァツキーらが1875年にニューヨークで創立(1879年からはインドのボンベイに拠点を移す)した団体で、インチキであるにも関わらず、その後長く欧米の思想史に大きな影響を与えることになる団体でございます。
もともとね、神智学ってのは、(ウィキペディアによると)「神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするもの」で、その前提として「神あるいは超越者が叡智的性格を持ち、宇宙も自然もこのような叡智から作られ、人間の智も神の智に通じる性格を持っており、人間は霊的認識により神を知り、神に近づくことができる」と考えているわけね。で、グノーシス派、新プラトン主義、インドの神秘思想、ヤーコブ・ベーメの思想などがその例だってんですけど、まあ、ワタクシが愚考いたしますに、スウェーデンボルグの思想とか、あるいはアメリカで言えばエマソンのトランセンデンタリズムなんかも、神智学の系譜に連なるものなんじゃないかと。
で、19世紀の最後の四半世紀くらいになった時に、これも先日このブログに書いたことですけれども、イギリスやアメリカで心霊主義(スピリチュアリズム)が出てくる。で、この一歩間違えたらオカルトになっちゃいそうな(でも、関係した科学者たちからしたら大真面目な)思想が出てきた時に、そのオカルト的側面にかすめるような感じで、「失われた古代の叡智の復活」みたいなものを、詐欺師のマダム・ブラヴァツキーなんかが言い出し始めるわけね。で、その際、じゃその失われた古代の叡智って何?ってなった時に、ブラヴァツキーらはインドの思想、要は仏教を持ち出して来る。だから、このブラヴァツキーなんかが言い出した神智学ってのは、先程述べた本物の神智学とは別物であって、むしろ東洋の宗教思想を西洋のそれに接続し、もって「普遍宗教」を打ち出そう!的な傾向を持っていたと。
で、この東洋思想を西洋に紹介しつつ、西洋思想と東洋思想のアマルガムを作ろうとする傾向があったことが、単に19世紀後半の英米の大衆のオカルト的興味をあおるだけでなく、20世紀後半のアメリカにおけるヒッピー・ムーヴメントやニューエイジ思想なんかにも影響を及ぼす結果となるわけですな。だから、元々は「詐欺師発信」の思想だったのに、案外後世に大きな影響力を持ってしまうというね。そこが非常に面白いところでありまして。
で、そういうブラヴァツキーがらみの神智学にすっかり魂を持って行かれたヴェンツ君は、24歳でスタンフォード大学に入学して哲学と宗教を学び、スタンフォードに客員教授として来ていたウィリアム・ジェイムズの宗教心理学とW・B・イエイツに指導を受けることに。
はい、またまた出ましたウィリアム・ジェイムズ。この人はもう、出ずっぱりだねえ。
で、イエイツの推薦もあってヴェンツ君は1907年にオックスフォード大学のジーザス・カレッジに入学してケルト民族神話の研究を開始。第1次大戦中は、スパイを疑われながらもギリシャ・トルコ・エジプトを旅し、またオックスフォード大学時代に面識のあったT・E・ロレンスに当時インドのニューデリーにいたロレンスの弟あての紹介状を書いてもらったりして、1917年秋にインドに向かい、そこで偉い坊さんなんかと知り合いになると。で、1931年にオックスフォード大学の学位を取り、晩年は23年に亘ってサンディエゴの下町のホテル住まいを続け、1965年没。生涯独身を貫くも、土地資産運営によって莫大な財産を築き(何ソレ?)、これを基金としてスタンフォードに教授ポストが作られた他、ヴェンツ君が集めた膨大なチベット仏教の資料も、同大学に寄贈されていると。
さて、そんな生涯を送ったヴェンツ君最大の功績は、チベット仏教の仏典『バルドゥ・トェ・ドル』を『チベットの死者の書』として英訳し、詳細な註をつけ、オックスフォード大学出版会から1927年に出版したこと。
で、この英訳が出た7年後、1935年に、英訳に基づくドイツ語訳というのが出るんですけど、このドイツ語版に解説を付したのが、なんと、誰あろう、カール・グスタフ・ユング大先生ですよ。そのユング大先生が「何年もの間、この本は私の変らぬ座右の書だった」なんてぶち上げたもんだから、もう大騒ぎ。
でも、ユング大先生がそう言うのも無理なくて、実際に『チベットの死者の書』を読むと、エディプス・コンプレックスとそっくりの話が出てきたりするし、それどころかこのお経は「魂の普遍層」を語っているのであって、それは要するにフロイトも入るのをためらった「隠されたオカルト領域」、すなわち「集合的無意識の領域」のことじゃないか!っていうね。ユング大先生は、自らの主張をチベット仏教の経典が裏書していることに驚愕し、またそのことによって自説に自信を持っちゃったわけですな。
で、ユング大先生のお墨付きが付いたこともあって、『チベットの死者の書』は大ブームとなり、ヴェンツ訳をもとにフランス語版・ドイツ語版・スペイン語版が刊行されたほか、後には新英訳、新独語訳、新仏語訳なんかも出て、さらに研究書もジャンジャン出たと。
それだけじゃない。アメリカ1960年代ともなると、この本が描く「中宥」の世界、つまり死者が最初に赴く世界は、要するに次の生への中間地点というか、生と死の境の話であって、いわば生から死へ、死から生への通過儀礼の話でしょ。それが、LSDによるトリップ体験に似ているということで、当時のアメリカを席捲していたヒッピーたちから大いなる支持を受けるようになるわけ。そもそも西洋思想に絶望したヒッピーたちは、東洋思想に大いなる興味を持ち、期待をかけていたわけだし、またドラッグによる意識拡張に興味を持っていた彼らからしたら、「この本、要するにLSDトリップのガイドブックじゃね?」っていう話になるわけで、LSD教の教祖ティモシー・リアリーなんかは、これからLSD体験をしようという若者に「ガイドブックとして読んでおけ」的な感じでこの本を読むよう指導していたらしい。
で、1960年代のアメリカで、この本は若い連中の間でよく読まれていたんですな。実際本書を翻訳した川崎信定さんは、1966年(つまりエヴァンス・ヴェンツが死んだ翌年ですな)にサンフランシスコに留学したのですが、着いて早々、『チベットの死者の書』に基づいて滔々とサトリについて語る女子学生に出くわしたそうで。しかもその後、ニューヨーク州立大学、コロンビア大学と、行く先々でこの本の話題が持ち切りだったし、マンハッタンの本屋では、『老子』や『易経』、鈴木大拙の禅の解説書と並んで『チベットの死者の書』が積み上げられていたと。つまりヒッピー世代のバイブルになっていたわけですよ。でまた、そういうヒッピーの中にはインドだのネパールだのに本当に出かけて行って修行をし、本格的な仏教研究しちゃう連中も居たりして、川崎さんは「ヒッピー、おそるべし」という感慨を受けたそうで。だから、もしヴェンツ君にその気があれば、彼はティモシー・リアリーなんか及びもつかないほどの、ヒッピーの大グルになれたはず。
しかも、話はここでは終わらない。
このブログでも何度か書きましたが、アメリカの1970年代後半は「臨死体験ブーム」だったのでありまして、死んだらどうなる?ということが大衆の興味の対象だった。で、『チベットの死者の書』は、まさに死んだらどうなる、を滔々と解説した本であって、しかもエリザベス・キューブラー・ロスとか、レイモンド・ムーディーなんかが主張する臨死体験の話と、『チベットの死者の書』が語る死後の旅の話が妙に一致していたもんだから、ここでまたブーム再燃!っていう。
ということで、この本は、期せずして(そりゃそうだよね! 大昔のチベットの坊さんたちが「このお経、きっとアメリカで受けるぞ!!」とか考えていたわけがないのであって)、20世紀アメリカの、そして西洋の、思想史・文化史に小さからぬ影響を与えることになったのであります。
どう、これ。超面白くない?
というわけで、この本、その来歴だけで超面白いんですけど、じゃあその内容はと言いますと、生前、どんな悪人だった人でも死んで仏になれるよう、サポートしてくれるありがたいお経なのよ。
で、人間の中でも能力が最高にすぐれたヨガの実践者くらいになると、いよいよ自分が死ぬな、ってなった時に生前に受けた教えを自分で実践しちゃうので、もう死んだ途端に解脱して速攻、仏になっちゃうから放っておいてもいいと。
ところがそういう優れた人間じゃない場合、やっぱり死んでから解脱する前にある程度、まごまごする。これが中宥(バルドゥ)の期間なわけ。で、このバルドゥの期間を過している間に、他の人にお経を読んでもらって、それを聞くことによって大解脱する必要がある。これが「聴聞(トエ)による大解脱(ドルチエンモ)」なわけ。
どう、「バルドゥにおけるトエによるドルチエンモ」。これね、10回ぐらい口ずさんでみ。段々、マインドセットが生じてきて、ふとした時についつい口にしたくなってくるよ。「あー。なんかもうバルドゥだし、そろそろトエしてドルチエンモしてー!」とか。「あんた、今何トエしてんの? 私にもちょっとドルチェンモさせて!」とか。流行語にならないかな。無理か。
さて、そのバルドゥにおけるトエによるドルチエンモですけど、詳しく言うと3パターンありまーす。
最初の奴は「チカエ・バルドゥ(=死の瞬間)における光明のお導き」っていう奴で、これはさっき言った極楽直行便の「ドルチェンモを必要としないほどすぐれたヨガの実践者」じゃないにしても、相当に修行を積んだ優れた人に応用されるお経でございます。で、これは当該の人がまだ死んでなくて、そろそろ最後の一息をつこうか、っていうようなタイミングで読みあげるんだけど、そのお経を聞いた途端、死にゆく人は「そうそう、そうだった」って気づいて、もうその段階でドルチエンモ(大解脱)しちゃうと。これだと「第一の光明」で解脱したってことになります。
だけど、そこまでうまく行かなくて、ドルチエンモせずに死んじゃった場合、死後30分くらい(一回の食事時間くらい)経つと、死者の意識が身体を抜け出るんですと。だけどその意識は、自分が死んだのか死んでないのか、自覚がない。しかし、その一方、その人を惑わすような幻影もまだ出てこない。これが「第二の光明」の時期ね。で、この時期にそれ用のお経を読んでもらうと、カルマン(業)に惑わされることなく、解脱できます。めでたしめでたし。
さて、それでもドルチエンモできなかった場合、ここから第2パターンの「チョエニ・バルドゥ」が始まります。これは「存在本来の姿の中宥」という意味。
さっき述べた「第二の光明」で解脱できなかった場合、次に「第三の光明」のバルドゥが始まります。この時期は、残念ながら死者を錯乱させる幻影――これはカルマン(業)が引き起こすんだけど――が現れるので、結構大変です。
この時期、死者の側からは親族たちを見ることができますが、親族の方は彼を見ることはできません。また親族が死者に声をかけるのは聞こえますが、死者の方から親族に呼び掛けても、親族には聞き取れません。だもんで、死者は憂鬱になります。
しかもね、この時期には音響と色彩と光明の三つの現出(これらは死者の存在の本来の姿(=法性)の純粋な現出)がありまして、それがもたらす轟音とかが響き渡るので、死者は恐怖と怖畏と戦慄によって三日半くらい失神しちゃう。
で、失神から目覚めると、「あれ? 俺は今どうなってるの?」と疑問が生じてくる。そこで重要なのは、「自分は今、バルドゥの状態にあるんだ」ということを自覚することなのね。で、自覚すると、虚空すべてが紺青の光となって目を開けていられないほど輝き出す。そしてそこへ世尊であるヴァイローチャナ(毘盧遮那如来)が白色の身体をしてライオンに乗ってやってくる(マジか!)一方、目に快い薄明りも近づいて来る。で、この時にどうかすると紺青に輝く方を恐れ、薄明りの方に行ってしまいがちなんだけど、薄明りの方にいくと六道に落ちるからね。そこは気を付けて、強烈な光の方に向わないと。そっちに行けば、無事、仏になれる。そういうアドバイスが「チョエニ・バルドゥの大いなるお導き」のお経なのであって、それはとってもありがたいものなのよ。そうじゃなきゃ、うっかり薄明りの方に行っちゃうからね。これが一日目の試練。
で、この一日目の試練をパスして仏になればいいんだけど、そうならない奴もいる。すると二日目になって、今度アクショービヤ如来が目を射る白色の光と共に、象の背に乗ってやって来てくれる一方、地獄の誘惑として、例の薄明りがやってくる。で、ここでも選択を間違えないようにして、まぶしい光の方に進んでゆけば、輪廻から解脱して仏になれるよと。そのことを、専用のお経で死者に教えてやるわけですな。
しかし、この二日目の救いでも救われない奴もいるわけ。で、そういう場合、三日目に突入するとこういうことが起こるから、こうこう、こうすればいい、っていうお経がある。で、それでも救われない奴の場合、四日目になるとこうなるから、こうすればいい、っていうお経があって、それでも救われない奴の場合、五日目になるとこうなるから、こうすればいい、っていうお経があって、そういうの14日目まで延々続くのよ。もう、全然死者を見捨てないの。最後の最後まで救おうとする。サービス精神満載。
でね、14日目くらいまでずっと極楽浄土に送ってやろうとお経読んでいるのに、まだ救われない奴がいる。で、そのあたりになってくるとヤマが出てくる。ヤマってのは、日本風に言うと「閻魔大王」ね。で、その閻魔大王が血をすすっている光景とか見ちゃうもんで、死者はまたまた失神ですよ。世話が焼けるねえ。
でもね、そういう閻魔大王とかも、実際にはすべてその死者が作り出している幻影なのね。自分の意識が作り出したものなの。だからそのことを自覚し、全ての恐れを脱することができれば、やっぱり解脱することができると。
だけど、この後の及んでまだ解脱できない奴がいる。生前、よっぽどの極悪人だったか。で、そうなると、第3のパターンになります。それが「シパ・バルドゥ」ね。これは「再生へ向かう迷いの状態の中宥」という意味。
つまりね、もうこのレベルの極悪人だと、解脱は出来なくて、輪廻しちゃうケースも出てくる。もう。残念ですが。
だけど、モノには皆「松・竹・梅」があるように、同じ、輪廻しちゃうにしても、いい輪廻と悪い輪廻がある。
例えばの話、人間に生まれ変わるにしても、どこかの国の王子様になるかもしれないし、盗人になるかもしれない。生まれる国にしたって、仏教の教えが敬われている国に生まれるかもしれないし、ベラルーシみたいな国に生まれちゃうかもしれない。それでも人間に生まれ変わるのならまだいい方で、犬や牛や虫けらとか、そういう動物に輪廻しちゃったり、餓鬼の世界や地獄に生れ落ちたりすることだってある。
だから、解脱できずに輪廻の方に回る(オリンピック的に言うと、敗者復活戦に回る、みたいな感じ?)にしても、やっぱりどう輪廻すべきかのアドバイスは必要なのね。それがこの「シパ・バルドゥ」ということになります。
で、このレベルになると、もう死んでから何週間も経っている。マックス7週間、すなわち49日滞在するらしいですけどね。一番多いのは3週間21日滞在コースらしいですが。この頃はもう、激しいカルマンの大疾風の中で駆り立てられて、へとへとですよ。だもんで、「どーせ解脱できないなら、もう一度、生まれ変わりたいな、すくなくともここに居るより生まれ変わった方が楽でしょ」みたいな気分になってくる。
だけど、もうこの頃には元の自分の身体はないわけですよ。焼かれたり、埋められたりしちゃっているわけで。だから、その事に気づいて、すっごく苦しくなるんですって。
で、そんな苦しみもあるもんで、ますます「もう解脱はいいわ! 輪廻しちゃう!」っていう誘惑に負けそうになる。でも、そこをぐっと我慢して、いやいや、やっぱ解脱でしょ、って悟れば、解脱できる。だけど、今までさんざん解脱のチャンスがあったのに、それを全部無駄にしてきた連中だからね。やっぱり輪廻しちゃう奴も出てくる。
で、そこで出てくるのは「胎」ね。あー、生まれ変わりたい~って思っているから、胎を見ちゃうとついふらふら~っとそっちに行っちゃう。
そこで、その誘惑に負けないために、胎の入り口を閉ざす方法ってのがいくつもあって、それをこの「シパ・バルドゥ」は教えてくれる。
例えば、次の生でお父さんとお母さんになる人が二人でイチャイチャ、エッチしているところが見えてくるですと。ちなみに、これを見た時、男に生まれ変わるならば、父親に対して反発心が生じ、女に生まれ変わるならば母親に対して反発心が生じるんですと。これが前に言った、エディプス・コンプレックスのチベット経版ですな。ま、そういうこともありつつ、「あー、あそこだ~」とか言って、二人の間にするっと入り込もうという誘惑が生じるんだけど、そこでぐっとこらえて守り本尊を念頭に一心に祈ると、胎は閉じられて、輪廻の危機から救われることになる。これが第一の方法。で、この調子で第二の方法、第三の方法、第四の方法・・・ってのがずっとある。
とにかく、「シパ・バルドゥ」では、なるべくなら輪廻しないように、もしどうしても輪廻することになるんだったら、なるべくいい条件の下で生まれ変わるようなアドバイスをするために、このお経は存在するんですな。
というわけで、この『チベットの死者の書』というのは、死者が輪廻から解脱して成仏できるようにする何重にもなったセーフティー・ネットだったのでありまーす。こんなに親切に、親身になって、六道に陥らないようにしてくれるお経なんだから、まあ、ありがたいもんですよ。
それにしても、とにかくそういうことを説く中で、死んでからすぐはこういう状態になる、それが一日目はこう変化し、二日目にはこうなり、三日目にはこうなって、十四日経つとこういう幻影が見えてくる・・・ってな感じで、それこそ一日毎にどういう体験をするかを、事細かく解説してあるところが面白いんですなあ。
というわけで、噂に聞いたこの本、実際に読んでみて、なるほど、こういうものだったのか、というのが分かったので、ワタクシ的には大満足。
もっともこの本には解説本もあるようですから、またそういうのも読んでみて、さらに理解を深めることにしましょうかね。
これこれ!
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チベットの死者の書 原典訳 (ちくま学芸文庫) [ 川崎信定 ]
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