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釈迦楽

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November 17, 2021
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カテゴリ:教授の追悼記
元広島カープ監督、古葉竹識さんが亡くなられました。享年85。

 私も今ではプロ野球をまったく見なくなりましたが、昭和後期に子供時代を過ごした者として、やはり子供の頃は野球に夢中になったものでございます。

 とはいえ、公立の小学校ではなく、私立の小学校に電車通学していた身としては、家の近所に友達がおらず、野球とかキャッチボールとは無縁の生活をしていたワタクシ。だから小学校低学年までは野球のルールすら知らず、ボールにもバットにも、ましてやグローブにも一度も触れたことのないままに過ごしておりました。

 で、小学校3年生になった時、私の通っていた小学校でクラス対抗の野球大会が開かれることになりまして、当然、全員参加ですから、私も嫌々ながらバッターボックスに立つことに。何しろそれまで一度もバットを振ったことがないもので、クラスメートたちから「とにかくボールが飛んで来たら思い切りバットを振ればいいんだ」とのアドバイスを受け、相手チームの凄腕ピッチャー高野憲君と対面することになった。

 で、一球目。とりあえず思い切りバットを振ったら、なんとなんと、バットがボールに当たったどころか、ボールは遥か遠くに飛んで行って、いきなり場外ホームラン。私は、王選手さながら、人生最初の打席でホームランをかっ飛ばしてしまったという。

 で、その裏。初めてグローブなるものを手にはめ、初心者ということでとりあえずライトの守備につかされたと。

 で、しばらくは暇だったのですが、2アウトをとって、もう一つアウトを取れば試合終了(勝利)となるところで、カツーン!という音が。

 で、見ていると、高く上がった打球が、気のせいか、私めがけて飛んでくる。私はもう足がすくんで動けず、ただただ飛んでくる打球を茫然と見守っていたのですが、いよいよこのままだと私の顔面にボールが当たるとなって、無意識のうちに手で顔を覆ったところ、なんと打球は見事私のグローブの中に。そしてこの超ファイン・プレーで試合終了、私は勝ち越しのホームランと、最後のアウトをとった男として、その日一日、伝説のヒーローとなったのでした。

 まあ、こういうことがあれば、私がその日から熱狂的な野球少年になったのも当然でありましょう。

 時は1973年ですよ。巨人がV9を達成した頃。王も長嶋も現役で、それに加えて柴田だの高田だの土井だの堀内だの森だの、そういう連中がそれぞれに職人のような仕事をしていた時代。当然、当時の東京の野球少年の常として巨人軍のファンとなって、ペナントレースの行方に一喜一憂したものでありました。

 で、期せずしてその巨人の宿敵となったのが、広島東洋カープでありまして、その赤ヘル軍団を率いていたのが古葉監督だったと。当時は山本浩二とか、衣笠とか、そういう連中が活躍していた頃――それはまた広島にとっての黄金時代でもあったのでしょうな。巨人ファンとしては、にっくき敵将というわけでありまして。

 しかし、やがて長嶋が去り、王が去り、巨人のV9も遠い過去となり、私もまた大きくなって、段々野球から関心が薄れて行ったのでした。それでも、どこを応援するかとなったら、やっぱり巨人ということには変わりなかったかな。それは、今でも。

 そして、その時からさらに時が経ち、私が大学生になって出会った恩師が、広島出身ということもあり、常軌を逸した熱狂的広島ファンだったと。

 で、私は恩師の強すぎるカープ愛に圧倒され、自分が巨人ファンであることは懸命に隠していたのですが、野球関係の話をしている時の私の反応ぶりから、どうやら私が隠れ巨人ファンであることを察知された先生は、ことあるごとに嬉しそうに私の前で巨人を罵倒したものでした。

 で、そんな調子でしたから、私の恩師にとって広島東洋カープを4度の優勝と3度の日本一に導いた古葉竹識監督は、まさに神様のような存在だったのではないかと。私が古葉監督を追悼するのは、だから、私にとっての憎き敵将としてではなく、私の恩師にとっての神様として追悼するのであります。

 私の恩師・大橋吉之輔先生は、広島カープのホームグラウンドだけが「広島市民球場」となっていることをいつも自慢しておりましたっけ。たとえ設備等は他球場に劣るとも、あれは広島市民の球団であるカープのために、広島市民がお金を出し合って作った球場なのであって、だから意味があるのだと。

 確かに、今はどうか知りませんけれども、一昔前まで、広島カープというのは、広島市民のチーム、という感じが色濃くありましたね。

 80年代の終わりごろだったか、私は恩師が里帰りするのをサポートするので、カバン持ちとして先生と広島を訪れたことがありまして。その時、先生はとある知人の家を訪れたのですが、その訪れた先の奥様と先生が、なにやら「ヨシヒコ」がどうたらこうたらと噂話をし始めた。で、私はその「ヨシヒコ」というのは、その奥さんの息子さんなんだろうと思っていたのですが、どうも話がおかしい方向に行くなあと思っているうちに、はたと、そのヨシヒコがカープの名選手・高橋義彦のことであることに気づいたという。

 ごくごく普通の家の奥さんが、野球選手のことを下の名前で呼び、まるで自分の息子であるかのようにその消息を語る・・・。なるほど、これが大橋先生の言っていた、「カープは広島市民の球団だ」ということなのかと、その時、あらためて私は理解したのでした。例えば私の母が、巨人の選手のことを「マスミが・・・」とか「ヨシノブが・・・」などと呼んだり、その消息を噂したりするはずがないことから推しても、いかにカープの選手たちが広島市民に愛されているかが分かるというものでありまして。

 ま、古葉さんは、そういうチームを作り上げたんだよなあ・・・。もちろん、古葉さんだけの手柄ではないだろうけれども。

 ということで、私の直接の思い出/思い入れということではないけれども、色々と懐かしい記憶に結び付く広島カープ監督・古葉竹識さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。





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Last updated  November 17, 2021 03:06:23 PM
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ケンケン@ Re:想像ふくらむ、理想のアメリカ短編小説集(06/26) 先生と同業の末席にいるものですが、 その…
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