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釈迦楽

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April 16, 2024
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カテゴリ:教授の読書日記
先週の金曜日、いわば時間つぶしのために買ったものの、読みだしたら止まらなくなった穂村弘さんの『短歌の友人』という本、読み終わりました。すごく面白い本でした。これは確かに、賞に値する本だなと。

 これは短歌にまつわる本、といって研究書ではないし、専門家のみならず一般読者に向けて書かれているので、「文学的エッセイ」と呼ぶべきものだろうと思うのですが、そういうものとしてピカ一の出来。実に面白く、かつ啓蒙的でありました。しかも、学術的な意味での文学論にもなっているという。こう言っちゃ同業者に怒られるかもしれませんが、今日日、アメリカ文学関連の学会でこのレベルの文学論に出会ったことがない。穂村さんの本って初めて読んだけれど、これほどのものだったのかと、目からウロコ状態でした。

 この本に収められたどの文章も興味深いのですけど、私が一番「お!」と思ったのは、「〈読み〉の違いのことなど」と題された一文。この文章の冒頭近くに、次のようなことが書いてある。


 いつだったか、永田和宏が、歌人以外の人の歌の〈読み〉に心から納得できたことがない、という意味のことを書いているのを見た記憶があるのだが、基本的に私も同感である。
 歌人の〈読み〉の場合、それが自分の〈読み〉と異なっていても、〈読み〉の軸のようなものを少しずらしてみれば理解はできることが多い。大きくいえばそれは個々の読み手の定型観の違いということになると思う。
 それに対して、他ジャンルの人の短歌の〈読み〉については、定型観がどうとか〈読み〉の軸がどうとかいう以前に、「何かがわかっていない」「前提となる感覚が欠けている」という印象を持つことが多い。これはあまりにも一方的な云い方で、ちょっと口に出しにくいのだが、そんな感じは確かにあると思う。
 「前提となる感覚が欠けている」とはどういうことか。これをうまく表現するのはなかなか難しいのだが、例えば、「歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ」という感覚の欠如、という捉え方はどうだろう。実作経験のない読み手は、この感覚もしくは認識が欠けているように思えてならない。(176-177)


 うーん、どうよ。すごいことが書いてあるじゃないのですか! この先、穂村さんが言っていることをまとめると、実作経験のない、すなわち歌人ではない素人には「歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ」という共通認識がなく、むしろ漠然と「短歌にも色々なものがある」と思っているようで、その色々なタイプの短歌の中で自分の理解できるものをピックアップして、それに対して「いいな」とか、「そうでもないな」とか、適当にコメントしているだけだと。

 では、歌人ならば持っている「ひとつのもの」への認識とは何か?

 例えば正岡子規にこういうのがある。

  人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蠅殺すわれは

 この歌は、病床にあって物見遊山にも行けない自分を見つめた歌であるわけですが、ここにあるのは他人に代わってもらうことのできない、自分の人生の一回性、つまり「生のかけがえのなさ」であって、これこそが近代以降の短歌における「ひとつのもの」であると。

 だから近代以降の短歌というのは、繰り返しこのことを歌っていると言っていい。それは例えば、花山多佳子という歌人の

  かの人も現実(うつつ)に在りて暑き空気押し分けてくる葉書一枚

 という歌は、上に挙げた子規の歌の変奏であって、歌っている内容は「生のかけがえのなさ」ということである点では同じなのだと。

 この「同じだ」という感覚が、歌人と素人の間では共有されていないのではないか、というのが、この文章で穂村さんが言っていることなわけ。

 な・る・ほ・ど! なるほどね~。

 こうなってくると、もうアレだね、実作しない短歌の批評家なんてのは、実作者からしたらお笑い種なんだろうね。

 しかし、それはまた逆に、実作する者同士の批判のし合いとなると、もう、命がけということにもなる。だって、もし相手の歌が歌として通用するならば、それは即、自分の歌が全否定されることを意味するのだから。だから、そんなものは絶対に認めない。もし他の大勢の人がそれを認めるなら、自分は自害する――というようなところまで行っちゃうわけだから。実際、穂村さんはニューウェイブ歌人として名をあげ始めた頃、オーソドックスな歌人であった石田比呂志からそういうことを言われたことがあるそうで。

 すごいよね。今、アメリカ文学の学者の間で、これほどの切った張ったなんてないもん。大体、実作するアメリカ文学者なんて、そうそういないですからね。

 その他、穂村さんに腑分けされると、近代短歌の在り様と比べた上での現代短歌の位置づけというのもよく分かるし、著名な歌人の特色とかもすごくよく分かる。岡井隆なんて歌人・詩人の本質なんて、わずか数ページほどのエッセイにして、ズバッと核心をついているもんね。まあすごいものですよ。

 というわけで、穂村弘、恐るべしということがよく分かった読書体験だったのでした。この本、教授の熱烈おすすめ!です。


これこれ!
 ↓

短歌の友人 (河出文庫) [ 穂村弘 ]





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Last updated  April 16, 2024 03:58:14 PM
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りぃー子@ Re:「new born 荒井良二」展を堪能!(04/26) こんにちは、迫力と湧き出る力強さ、美し…
釈迦楽@ Re[3]:クタクタの誕生日(04/09) がいとさんへ  いやいや、あの頃が僕に…
がいと@ Re[2]:クタクタの誕生日(04/09) せんせい おぉ、そんなこともありました…
釈迦楽@ Re[1]:クタクタの誕生日(04/09) がいとさんへ  昔、君が正門前のアパー…

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