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依田健吾のセックス、いいちこ、ロックンロール

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2010.05.15
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カテゴリ:文化
アメ横は永遠にアメカジ天国!なのである。誰がなんと言おうとそうなのだ。
おしゃれキッズ垂涎の「メイド・イン・U.S.A.」が日本一、いや、世界一と言ってもいいくらい揃うのが上野の「アメヤ横丁」なのだ。

空(Ku U.S.A.)を運営する上野の老舗セレクトショップ「BEAVER」でMANASTASHのショートパンツを購入した。クライミングパンツの王道ブランドであるGRAMICCIと穿き比べて、よりすっきりしたシルエットだったのが決め手だ。どうでもいいがGRAMICCIを「グラミチ」と呼ぶのは90年代当時のアウトドアブームの世代で、今の若い人は「グラミッチ」と呼ぶらしい。BEAVERの店員さんも「グラミッチ」と言っていた。しかもイントネーションが違った。語尾を上げる呼び方だった。それが2010年というものだ。

その後隣のヒノヤに行ってデニムを試着。何年も気になっているシュガーケーンの
砂糖黍デニムを試そうと思ったのだが、デニムのコーナーに着くなり店員さんに「お兄さんみたいな体系だったら、こういうタイプがいいですよ」と違うデニムを試着させられる。
私のように貧弱な体系の場合、彼の言うように尻から腿にかけてもたついてしまい、シルエットがファッショナブルではなくなってしまうため「前股上と後ろ股上の差が少なく」「股上が浅めのパターン」がいいらしい。ショップオリジナルのデニムを試着してみて納得。腰回りはすっきりしているのに、しっかりヴィンテージ風のゆとりあるシルエットで窮屈さを全く感じない。やはり次に買うデニムはバーガスプラスの770
≪最高のジーンズ作りました。≫BURGUS PLUS バーガスプラス Lot.770 ONE WASH 770-1201なのだろうか。
オリジナルの507XX(所謂リーバイスの「セカンド」)を着ていたせいか、全くレプリカデニムの素人相手の接客をされたことが気になりつつも非常に親切だったことに満足。最近東洋から出たCAT'S PAWのワークパンツ
CAT'S PAW WORK CLOTHING by 東洋エンタープライズ キャッツポウ ワーククロージング WORK PANTS CP40850 ≪新商品!≫も気になったが、この手のパンツは今 穿いているチノがダメになった時に考えることにする。その頃、まだこれがあればいいな

と、ここまで備忘録


上野というのは、完全に「置いていかれた」繁華街である。金町だの西新井だの南千住だのと、東京東部の開発が進み「平均的なサラリーマンがマンションを買える限界」の地域最大のターミナルにも関わらず、上野には「昭和の香り」が強くただよってしまうのは運命だろうか。なにより、「上野の109」的な立場であるファッションビル「ABAB」のなんと埼玉くさいことか。

江戸城があった日本橋を中心に、隅田川周辺までが生活地域だった江戸時代から、今の文京区あたりを「山の手」とし、上野以東を下町とする風潮は100年以上変わっていない。「ハレ」の場は銀座、「ケ」の場は浅草、というのが昭和初期までの東京の繁華街だが、同時に知的階級は本郷(いわずもがな、東大がある場所)を中心とした文京区周辺から渋谷、目黒あたりに(第二山の手)居住圏を拡大し、戦後は世田谷、杉並といった第三山の手へと広がっていった(このへんのデータはベストセラーとなった三浦展の新書「下流社会」を参照して欲しい)。中央線、京王線、小田急線、東急線といった沿線のターミナルである新宿、渋谷がそれに伴って発展していくが、それに対し上野、浅草周辺の地域は北陸、東北地域から集団就職で上京してきた「金の卵」のための街としての性格を強めていく。
高度経済成長期にはそれが東京都下にまで拡大し、アッパーミドルのホワイトカラーが居住する地域といえば「新百合ヶ丘」「たまプラーザ」「聖蹟桜ヶ丘」周辺の「第四山の手」と呼ばれる地域、という認識が当たり前になった(実際、サラリーマンが居を構えられるのはその周辺にある駅から徒歩15分の公団なのだが)。

厳密にはわが国には階級制度はないが、社会階層は再生産が行われる傾向が強いので、「両親が高学歴で、当たり前に大学に進学する人たち」の住む山の手地域と、「自分は中卒なのでせめて高校に行けば」な下町との格差が出てくるのは当然である。かくして、60年代後半には新宿が文化の中心となり、上野は取り残されていった。

1980年代の大学の郊外への移転も当然そうしたアッパーミドルの地域に集中し、地方出身の団塊ジュニアも結局は上京後そうした山の手的なサバービアを東京の風景として認識するようになる(私もその一人)。そうこうしているうちに埼京線の終点が池袋から新宿、渋谷と伸び、最終的には「湘南新宿ライン」として品川や横浜方面にまでつながっていくのだが、これが前述の「『ABAB』が埼玉くさい」につながっているように思えて仕方がない。大学に進学する層は例え埼玉県在住でも池袋や新宿方面に流れ(大学の多くがこれらの駅を起点とする沿線に所在するので当然だ)、そうでない層は幼少期に親に連れてこられた上野へと流れてくるのだ。

私は高校生の頃に60年代、70年代ブームの洗練を受け、その中でもスカした渋谷系よりも昭和レトロな雰囲気に魅力を感じたので上野にまったく抵抗がないが、やはり大半の若者はたとえ千葉や埼玉に大学があっても上野ではなく新宿を選んでしまうのだろう。それは仕方のないことだが、少々さびしくもある。

年末年始のアメ横の混雑が年々ゆるやかになっているのには景気の後退やネットの普及もあるのだろうが、実はこうした知的階級の生活圏の変化による若者の都市意識の変化も関係しているように感じる。
今、下町で開発されているマンションに居住している団塊ジュニアはおそらく大卒だろうが、彼らが上野をないがしろにせず、もう一度この街を盛り上げてくれはしないか、と目下改装中の「娶楽」を見ながら思ったのだった。


アメ横の戦後史
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Last updated  2010.05.16 00:31:47
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