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温 泉 伝 説
二本松市の岳温泉の起源は古い。平安期の史書『日本紀略』の寛平9(897)年の項には『小結温泉に正五位下を授ける』と記されているそうです。その後、名称は『湯日』、『十文字』、『深堀』、そして『岳』と変わっていくのですが、その長い歴史には土砂崩れや火災に遭遇し、その都度場所を移してきた経緯がありました。 湯日温泉時代は、安達太良山の鉄山直下に営まれていた小規模な湯小屋が丹羽二本松藩時代に温泉街として整備され、番所や藩公の御殿も配置されていました。江戸中期には湯女(ゆな)が100人にも達し、歓楽温泉場として遠くは水戸などからも来湯客で賑わったと言われます。しかし文政7(1824)年、連日の雨と台風直撃による山津波のため一瞬にして崩壊、埋没してしまったのです。 十文字温泉時代は、湯日温泉から6キロ程下の平原地(現在の不動平)に建設されました。高台に藩公御殿や温泉神社が作られ、下方には4区画の町並み、中心地に14軒の旅館と3つの共同浴場、茶屋・商店・工人が軒を連ねていました。しかし戊辰戦争において新政府軍の拠点になることを恐れた二本松藩士によって焼き払われてしまいました。 深堀温泉は現在の岳温泉に隣接した深堀村に建設されました。しかし明治36年、旅館からの失火により温泉街は全焼してしまいました。そしてその地には再建されることはなく、現在は往時を偲ぶ石垣のみが残されています。その後も温泉再建に熱意を傾ける岳下村・永田村・原瀬村の有志が岳温泉株式合資会社を設立し、国有林の払い下げを受けて建設、今の岳温泉につながりました。 さてこの岳温泉は田村麻呂の発見と伝えられていますが、果たして弘仁2(811)に亡くなっている田村麻呂が発見したとは、『日本紀略』の記述から見ても、ちょっと考え難いなと思っています。岳温泉以外でも各地にある温泉発見の由来が伝えられています。それらには神話に基づくもの、僧侶や武将、それに動物が発見したものなどがありますがその大半はフィクションです。実際の発見者は近郷の農民などが多いのでしょうが、いずれも神からの贈り物と考えて神聖視していたものと思われます。著名な人物による発見伝説で共通することは、開湯伝説を作成する際に名前を引用しただけの場合が多く、「おらが湯」の宣伝活動に因るところが大きかったと言われます。 ところで鳥獣が発見したとされるものや、動物が湯に浸かっているのを見た古人が温泉であることを発見したものとしては、白い動物にちなむものが多いようです。したがって、情報化が進んだ今日のようにボーリングで開発される温泉では開湯伝説が存在するはずはなく、温泉開発者が「神のお告げを夢で見た」など開発者の思いによるものがわずかに散見される程度です。そこで県内各地の開湯伝説を拾ってみましたが、これは全てを網羅しているわけではありません。 日本武尊 = 飯坂温泉 大穴貴命(おおむなちのみこと)のお告げ= 土湯温泉 神のお告げ(薬師如来が小野小町に) =小野川温泉 神のお告げ(聖徳太子が泰野川勝に) =土湯温泉 嵯峨天皇の病気治癒のため見つけられた=岩瀬湯本温泉 二岐温泉 不動明王 = マルナカ鉱泉(鏡石) 弘法大師 = 大塩温泉 東山温泉 大塩裏磐梯温泉 微温湯温泉 鷲倉温泉 行基上人 = 芦ノ牧温泉 大森温泉 源翁禅師 = 熱塩温泉 州安和尚 = 甲子温泉 田村麻呂 = 岳温泉 欠入駒ヶ鼻温泉 八幡太郎義家 = 母畑温泉 西久保温泉 横向温泉 休石温泉 源田温泉 俵藤太 = 穴原温泉 平家の落人 = 一ノ木温泉 尾瀬桧枝岐温泉 天栄温泉 平藩の奥方の夢 = 玉山温泉 金山開発 = 日中温泉 猫 = 猫啼温泉 猿 = いわき湯本温泉 早戸温泉 湯野上温泉 鹿 = 入間沢温泉。入道温泉 成沢鉱泉 鶴 = 玉梨温泉 新鶴温泉 白米温泉 さわの湯鉱泉 白鳥 = 岩井戸温泉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.01.16 08:34:33
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