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カテゴリ:二つの祖国の狭間で
『 帰 布 二 世 』 の 証 言(9)
多分、昭和二十六年か、現在の福島県立福島商業高校の卒業生名簿の中に『斉藤誠 アメリカ』とあるのを見つけた。ただしそれ以上の詳細は分からず、正確に『帰米二世』であったとは断定出来ない。 それから当時、棚倉国民学校に通っていた橋本敏雄氏が、ハワイから来たという男児と同級であったという。名は忘れたが、クラスのボスに対抗して勝ち、以後いじめられることはなかったという。その後間もなく敏雄氏は転校しているので、その後どうなったかは、知らないという。 私の取材を受けてくれた人の中には、いまだにトラウマとしてショックを感じている人たち、また逆に明るく振る舞おうとする人たちがいる。その姿勢はいろいろであるが、どちらの人たちも平静に過ごそうとしているのが感じられた。 ブログランキングです。 ←ここにクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.01.21 08:14:23
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