着物事始め
私の実家は染物屋でした。着物を商い、住宅街の片隅に小さい看板、父はバイクで都内の小売屋を廻り、注文をとり、京都の染屋に取り次ぐ、という町の染物屋。近所に、ツテのある団地の集会所を借り小売もしていました。娘の私に嫁入りの時、タンスにぎっしり着物を持たせてくれました。ところが、私が着れない。何度着付けを習っても、挫折。タンスのこやしを眺めながら暮らしました。そのうち母は老人ホームに入り、寝たきりに。母の着物もどっさり、うちに運ばれ、一昨年、なくなった義母の着物もタンス1っポン。着物の海に押しつぶされながら、このままでは溺れて、着物を着ないうちに死んでしまう、と一年ホッキ。motoi,一念発起12月から着付け教室に通っています。これは母が最後まで着ていた、付け帯の太鼓の部分。付け帯もまだ締められないんですよ。