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カテゴリ:つれづれ
なかなか、ブログの更新ができません。
体調が少し良くなってきたと思ったら、ひどい捻挫になってしまい、治るのに1,2か月かかる、という診断を下され、出かけるどころか、家の階段を下りるのにも不自由しています。
で、毎日整形に通ってリハビリを受ける。
っていう ばあさんライフを送っています。
さて、早いもので、3月も半分過ぎようとしています。
水栽培の球根をテキトーに植えておいたヒヤシンスが毎年花をつけ、 もう満開になっています。
年年歳歳花相似たり という句を思い出します。
あの日からどれだけ経っただろう。
シランの芽も出てきて、季節は寒くても確実に春になってきています。
そして、5回目の311が訪れました。
あの日も今年と同じように金曜日で、私は整体に行こうと支度をしてました。 すると、今まで体験したこともない長い横揺れが!
まあ、あの「地震」はネット界隈では「人工地震」とされているので、体験したこともないのは当たり前かもしれませんが...。
しかし、人工であろうと自然であろうと震災で亡くなった方の命は戻ってきません。
今年の311も「震災で亡くなった方の追悼」というしめやかな行事で終わりました。
そして「一日も早い復興」が叫ばれてます。
まるで原発事故はなかったかのように扱われ、地震と津波の被害だけが被害のすべてであったかのようです。
あの震災はリトマス試験紙だったのでしょうか。
あくまでも真実を見ない、見せない人々と 何か心の中で変わっていった人を分けていく...。
私を含め、今生きている人たちは、みな、あの震災の時に死んだのだ、
という感じがしてなりません。
そのタイムラインから、別のシナリオのタイムラインに移行したのでは、という気がずっと震災以来続いています。
NHKが流している歌の歌詞に 「私は何を残しただろう」 とあります。
何を残したんだろう。
何を残したのかわからないし、この先もまだ白紙です。
新しい世界は自分で作るのだ。
誰か偉い人、権威の言いなりになっていては、また無限ループにはまるだけ。
彼らのニューオーダーではなく、自らのニューアースを構築する。
まあ、今の「ナチスの手口」で作ろうとしている「美しい国造り」も ひょっとすると
ひょっとすると
ある種の仕分けみたいなもので、案外どんでん返しがあるのかも、
なんて考えている私は、考え甘いんでしょうか?
311に想ったことをつれづれなるままに綴ってみました。
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Last updated
2016.03.13 03:11:45
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