皆神山と出口王仁三郎と旧日本陸軍
以前、出口王仁三郎のことを調べていて、戦前出口王仁三郎が日本陸軍に対しかなり影響力を持っていたことを知りましたが、皆神山について調べてもやはり戦前、戦中の日本陸軍の背後に出口王仁三郎の影を感じます。 大東亜戦争末期、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった時、東条英機内閣は長野松代(象山、舞鶴山、皆神山)への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事承認の閣議決定を行っています。 皇居や賢所の移転に関しては、「陛下に万が一のことがあっても、三種の神器は不可侵である。同じ場所には許されない。陛下の常の御座所と伊勢の皇太神宮を結ぶ線上に南面して造営し、しかもその掘削には純粋の日本人の手によること」との宮内省による強い指導があったようです。 皇居、三種の神器までをも皆神山に移そうとしたその理由とは・・・ 出口王仁三郎は富士山を天教山、皆神山を地教山と言い、皆神山を世界の中心となる山と讃えていますが、その理由を旧日本軍の作戦が物語っているように思います。 長野県松代は、富士山を抑える一番重要なスポットであり、ここに爆薬さえしかけておけば、富士山に噴火が起こると共に、富士山と鳴門の逆回転する二つの渦エネルギーは消滅し、その結果構造線に亀裂が入り日本列島は沈んでしまうようです。 日本は世界の雛形である為、日本列島が沈んでしまえば必然的に世界も沈んでしまいます。 当時の日本は三種の神器を守るために、最悪、皆神山を吹き飛ばし、地球もろとも人類総心中を考えていたようです。 大東亜戦争とはなんだったのか、改めて考えさせられてしまいます。