少彦名命と天神社
国津神をお祀りしている重要な聖地を巡っていると、ご祭神に少彦名命をお祀りしていたり、摂社に天神社が必ずあることが、なぜか急にとても気になりだしました。 少彦名命は必ず大己貴命か大黒様と一緒にお祀りされています。 とりわけとても重要な聖地、富士山山頂の久須志神社、御嶽山山頂の御嶽神社、東京の守護を司っている神田明神等に一緒にお祀りされています。 少彦名命が単独ではなく、必ず大己貴命と行動を共にすることから、二神の関係が古くから議論されているようです。 大己貴命は少彦名命の助力により国造りを行っていますが、少彦名命は一寸法師の源流とも言わているように 大己貴命=巨人と少彦名命=小人という組み合わせになり、これはエジプトのアブシンベル神殿の巨大な王と王の足下の小さな王妃の像の組み合わせを彷彿とさせます。 このエジプトの例から、少彦名命は大己貴命のお妃様なのではないかという考えがある日頭に浮かびました。 今年、木曽御嶽山に登りに行った時に、三の池のご祭神が白龍であったこと、御嶽山の少彦名命をお祀りしているお社から同様のエネルギーを感じたこと等から、少彦名命はもしかして瀬織津姫様なのかもしれないと思うようになりました。 このような思いを持ち始めた直後に、図書館でたまたま通りすがりに目に入った本を手にして読んでみたら、なんとも興味深いことが書いてありました。 柳田国男はアラハバキ=荒エビスと見ており、中山太郎は厳島神社の祭神は市杵島比売命となっているが元々の地主神はエビス神と見ていました(「神社と古代民間祭祀」より) 少彦名=エビス=アラハバキ=弁財天=瀬織津姫という図式が出来上がります。 大宮氷川神社の摂社天津神社(ご祭神:少彦名命)でお参りした際、「アラハバキの神様、瀬織津姫様でいらっしゃいますか?」と問いかけをしたら、「よくわかりましたね」というメッセージがやってきました。 また天神社の現在のご祭神は菅原道真公ですが、古くは少彦名命をお祀りしていたようです。菅原道真公が少彦名命を信仰しており、なにか啓示のようなものを受けていたようです。亡くなった後、天神社に菅原道真公を合祀していたのが、いつの間にか元々お祀りされていた少彦名命が消え菅原道真公をお祀りする神社になっていったようです。しかしながら、天神社で少彦名をお祀りする神社はまだ残っています。 これで、国津神をお祀りする重要な神社に必ずと言ってよい程「天神社」がある理由が良くわかりました。 先日訪れた出口王仁三郎が世界の中心と讃えた聖山「皆神山」にもやはり少彦名命をお祀りしたお社がありました。 過去世から引き続き今世でもまた私の産土神社である天神様の、元々の隠された神様はなんと瀬織津姫様でした。 深い深い縁をしみじみ感じます。