「オール沖縄」の牙城に風穴開けた県外出身・元自衛官 那覇市議選
任期満了に伴う那覇市議選(定数40)が9日投開票され、自民党新人の元自衛官、大山孝夫氏(36)が初当選を果たした。沖縄県はもともと「反自衛隊」感情が根強い土壌だ。事実上の県外出身者たる大山氏にとっては“完全アウエー”での戦いだった。退官から約3カ月。突貫工事で挑んだ短期決戦で凱歌を上げるに至り、自民党県連幹部も一様に「奇跡だ」と驚いた。大山氏の当選は、沖縄県に“地殻変動”が起きていることを印象づけた。(21日の記事を再掲載しています) 大山氏の父親は、航空自衛隊の戦闘機操縦士だった。那覇基地所属の207飛行隊員として沖縄、日本の空を守っていた昭和55年12月、大山氏は那覇自衛隊病院で生まれた。その直後に宮崎県の新田原(にゅうたばる)基地の204飛行隊に異動となり、一家で引っ越した。
しかし父親が操縦する「T33」練習機が訓練中に墜落し殉職した。生後9カ月のことだった。大山氏は母親の実家がある福岡県築城町に移り、女手一つで育てられた。そんな母親に感謝しつつも、福岡県立豊津高校時代には「不登校」を経験するなど荒れた時期もあった。
人生を決めたのは高校3年のときだった。制服姿の自衛官が自宅を訪れ、亡き父親に焼香をしてくれた。「父と同じ空自のパイロットになりたい。それも戦闘機ではなく、事故に見舞われた父のような操縦士を助けに行く救援ヘリコプターのパイロットに…」
空自のパイロットといえば倍率40~50倍という狭き門だ。努力を重ねて首尾良く平成11年に空自航空学校に入った。厳しく過酷な訓練を経て救難ヘリのパイロットになる夢をかなえた。