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私が「久禮」流元気療法などと意欲を燃やすことができたのは、最初の告知を受けた時に「こんなのは嫌だ!」と開き直って自分に「喝!」を与えたことが出発点になっています。
又、転移を告知された時は「ダメ元の精神で自分で成せる最善の治療法に賭ける。後は成るようにしか成らん!」と気持ちの整理ができたことです。その意味で、現実の厳しさに対しては開き直って、開き直って、開き直り続けてその余力をプラス志向に注ぎ込んできたと言えます。 そこで、昨日の日記に関連します。 昨日は癌と「闘う」べきか否か、「頑張れ、頑張れ!」などの励ましをどう受け入れるべきかなどについて述べましたが、この事に関連させて少し補足しておきます。 つまり、「癌と闘う」や「頑張るぞ!」といった闘争意欲の問題は、無理な手術や抗癌剤投与によって死期を早めるなどの「過剰」治療に結びつかないように調整していかなければならないからです。 今でこそ、抗癌剤投与などは改善が進んでいるので過剰投与の危険性は少なくなっていますが、私が告知を受けた7年半前の頃は有効な抗癌剤がないままに「癌を殺す」目的で強力な抗癌剤投与が臨床試験を兼ねて行なわれていたので死期を早める患者も多かったのです。 しかし、私の場合は闘病意欲を高めながらも治療に関しては慎重でした。術後の予防治療では有効性ゼロの抗癌剤を拒んだり、転移の場合は副作用の強力な抗癌剤よりも自宅療養が可能な経口薬を選びました。勿論漢方薬を併用すると言う担保があってのことですが、これで回復しなければ気分良く「寿命」と悟って余生を生きると心に決めての取り組みでした。 それでも精神的には「癌に負けてなるか!」と我が身に喝を入れ続けることは怠りませんでした。「この場に及んでは成るようにしか成らん!」と開き直り続けることで気持ちに余裕を持たせ、その余力をプラス志向に注ぎ込みました。 その点では、開き直りの精神を有効利用して元気印をどんどんと前に押し出すことができたので、生命力の活性化の原動力と成ったと勝手に思い込んでいます。 つまり、私が強調する「癌と闘う!」「頑張るぞ!」「癌に負けてなるか!」の叫びは、治療に無理を求めたりするのではなく、生命力(免疫)を精一杯に活性化させていくという精神から成り立っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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