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2023年06月18日
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カテゴリ:音楽
いまや旧聞に属する話題のようですが、音楽之友社発行の雑誌「レコード芸術」が、明後日(6月20日)発行の7月号をもって休刊になるとのこと。遅まきながら、亭主はそのことを数日前のA新聞の夕刊記事で知ったのですが、どうやら休刊の告知自体は4月3日に同社のWebページで流れたようです。

「レコ芸」といえばつい3ヶ月ほど前の3月、中世・バロック・ルネサンス音楽の特集号を組むということで、奇遇なことに亭主もン十年ぶりに紙の雑誌を手にしたところでした。また、そのことをこのブログでも取り上げ、同誌が(相当薄くなったとはいえ)依然としてそれなりに充実した内容・体裁を維持していることを紹介したばかりだったので、まさかその直後に休刊(実質的には廃刊?)のアナウンスが出るとは予想もせず。今頃になって気づく、というオトボケを演じた次第でした。

報道によると、休刊の理由は当該雑誌の出版に伴う赤字。販売部数の長期的な低迷(=読者離れ/読者数減)、CD新譜数の減少による広告収入の落ち込みに加え、このところの用紙や印刷費の高騰などがトドメを刺したとのこと。

一方でこのニュース、70年以上続いたクラシック音楽関係の老舗雑誌の休刊(実質的には廃刊)とあってそれなりに大きな波紋を広げているようで、それらをネット上でフォローするのもなかなか興味深いものがあります。

まず真っ先に反応したのが、雑誌に「記事を提供する側」の音楽評論家やその関係者(マスコミの音楽担当者など)。大手新聞の速報記事(4月3日)から引用すると以下のような感じです。
—突然の発表に、音楽関係者の間には困惑が広がっている。一部の筆者を中心に、存続を求める署名活動も始まった。同誌に執筆する音楽評論家の長木誠司さんは「『レコ芸』は、レコードを中心に発展してきた20世紀の音楽文化の根っこを支え続けた雑誌。もしなくなれば、日本のクラシック音楽文化の重要な核のひとつが確実に壊れる。影響は深刻」と話している。(A新聞)

—クラシック音楽界で中心的な役割を果たしてきた同誌の突然の休刊発表に、音楽関係者からは困惑と反対の声が上がっている。音楽評論家の沼野雄司さんは、「クラシック音楽を愛好する人にとって最も信頼し得る媒体であり、70年以上にわたって我が国の音楽文化を支えてきた存在」として、存続を求める署名活動を数人連名でオンライン上で開始。「この雑誌が消滅したら、2023年は日本の音楽文化の核のひとつが崩壊した年として、後世に記憶されるだろう」としている。(Y新聞)
では雑誌の「読者(あるいはかつての読者)」からの反応はどうかというと、ネット上で見る限りこちらはむしろ冷静で、(1)今世紀に入ってからのCD不況の進行、(2)サブスク等の浸透による音楽享受のスタイルの変化、さらには(3)メディアのデジタル化による「紙の雑誌」自体の急激な衰退、といった状況を日頃から感じている身からすれば、休刊は当然予想される帰結だった(むしろよく今まで持ち堪えていた)というのが大勢でした。(もちろん亭主も全く同意見です。)

とはいえ、上記3つの休刊に至る要因はむしろ外的なもので、これらの影響は「レコ芸」だけでなく他の音楽雑誌にも共通のものです。(ジャズの老舗雑誌「スイング・ジャーナル」の休刊は2010年だったとか。)

では、「レコ芸」にとって本質的な要因は何か。これについては、雑誌が対象としている「クラシック音楽」が日本の音楽文化に占める位置づけ・意味合いが大きく変化したことが指摘されており、亭主もその通りだろうと感じました。

具体的には、20世紀までの「みんなの教養」としての文学・芸術・音楽、およびそれを支える文化の権威主義(=「レコ芸」で言えば、どの音盤が享受されるべき「名盤か」を専門家が決め、素人がそれに従う)が凋落し、自分の趣味に応じて好きなものを享受する(オタク・マニア化する)、というのが現代の標準的なスタイルになっています。どこかで休刊に至る要因として挙げられていた「読者の高齢化(何と50—70代が85%を占める!)」も、元はと言えば「レコ芸」が依然として「みんなの教養」世代しか相手にしていない(できていない)ことの表れに過ぎないとも言えます。(かと言って、仮にオタク・マニアを対象にしても益々読者層が狭まるだけだし、彼らはそもそも紙媒体など見向きもしないと思われます。)

音楽之友社で編集・広告を担当する大谷隆夫さん(取締役常務執行役員)いわく、「クラシック音楽界全体の問題でもあるが、若い読者を育てることができないままに(ここ数年赤字が続く)厳しい状態に陥ってしまった」とのこと。雑誌の置かれた立場を客観的に見渡すことが必要な経営者なら当然のこととは言え、対象であるクラシック音楽界の問題(=若者離れ)についてもきちんと把握されています。

翻って、本件についての音楽評論家の言動を眺めていると、先に引用した新聞記事での2氏のコメントも含め、やや違和感を感じざるを得ないところがなきにしもあらず。

そもそも論として、各個人が好きな音楽を好きな形で享受する現代において、いわゆる専門家である音楽評論家(それもクラシック音楽の)の音盤評などというものは必要とされているのだろうか、という疑問が亭主には沸々と湧いてきます。(似たような疑問は新聞の演奏会評にも当てはまります。)

たとえば数日前のA新聞夕刊の記事で、音楽評論家の矢澤孝樹氏は「レコ芸」について、「楽曲と演奏を『ことば』で読み解き、考える習慣が身につく学校だった」と語り、休刊について「…確かなことは、録音を作品として論ずる文化を育む集合知の場が、『レコ芸』とともに確実に失われるということである。その影響はおそらく、いま想像されている以上に深く、大きい。新しい時代の場が必要だ」と語っています。が、そこには自分達が一般読者からどれだけ必要とされているのか(=存在理由)に対する疑念はあまり感じられない気がします。

実際、記事を提供した雑誌が「売れていなかった」ことを、彼ら・彼女らはどう捉えているのでしょうか?(まさか「自分達には落ち度はない」と考えるノーテンキではないと思いたいが、即座に雑誌存続の署名集めに走る様子を見ると疑わしくもなります。)

亭主も岡田暁生氏の著作「音楽の聴き方」を読んで以来、ソムリエが豊かな言葉でワインを語ることでワインの体験が豊かになるように、音楽を語る「言葉」を豊かにすることは音楽体験を豊かにする上で欠かせないと感じます。彼ら・彼女らが専門家相手の学術雑誌にではなく、一般読者対象のメディアに対して記事を書く意味もその辺にあるのだろう、とは想像します。が、問題は音楽評論家自身がそのことをどう自覚し実践していくかでしょう。「新しい時代の場」もそのような自覚を踏まえたものになるべきと思われます。









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最終更新日  2023年06月18日 21時29分44秒
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