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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2018.09.29
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私は、転職組です。

あまり、アパレル業界には、最初興味は無かった。

高校生、大学生時代も、まったく興味は、無かった。

でも、でも、

真剣に何事もやる性格なので
面白くなってきた。

アパレルメーカーで、5年半お世話になった。

試行錯誤しながら転職を考えるようになった。

「はとみさん。アパレル業界に、もしいなかったら、

  何をやっていましたか?」とある女性に聞かれました。


「そうですね。そうですね。

  結婚式場?  葬儀屋さん? 証券会社?

  ん~、わからないね。

   芸能界にいっていた?

  そうかもしれませんね。(笑)」と答えました。





学校の科目で一番苦手が、
国語、物理、生物が苦手でした。




でも、でも、あるきっかけがあって

新聞記者になるたいと高校3年生の後半に思うようになりました。

では、どうすればよいか?

新聞勤労奨学生になって、新聞業界を学ぼうとしました。





大学2年生時には、
無返済勤労奨学生(大学の奨学金制度)になりました。


それがきっかけで、下宿を変わり、


父親が、ガンの病になったので
仕送りがありません。

生活費を稼ぐ必要がありました。


2つ、3つとアルバイトを掛け持ちしながら、大学に

通っていました。


大学の就職課に出向くと
いろいろな職種を勧められました。


どういうわけか?

アパレル業界になってしまったのです。

商社関係や、新聞社を受けようと思っていました。



第一希望が、
サンヨー商会でした。

名古屋支店があったからです。

支店長面接に合格して、

東京本社の第2次面接が、東京スタイルの2次面接と重なったのです。



私は、東京スタイルの面接会場に行きました。

なぜか?

サンヨー商会の面接結果は、合格にも
関わらず、電報が配送されなかったのです。
携帯電話が無い時代です。


固定電話もありません。


それが、それが、電報局(当時の電電公社)の職員さんが、
私が住んでいるアパートがわからず、

電報を持って電報局に戻ってしまったのです。



運命の分かれ道でした。



もし、もし、電報局の職員さんが、電報を配達していたら?????????



もう、35年以上前の話しです。




悔しかった。

悔しかった。


でも、東京スタイルで、お世話になろうと決心しました。



ココでは、公開出来ないほど

問題視されました。







そして、営業マンとして、
東京スタイルに入社。


当時、東京スタイルのライバルは、オンワード樫山でしたが、


私の心の中では、「サンヨー商会」でした。


その後、人事異動で


茨城県を担当することになった。
昭和60年の秋ごろに、ロコレディ創業者 故羽富 正三と出逢いました。




昭和62年10月に転職。





あれから、30年以上の月日が、過ぎました。

私のことをいろいろ誹謗中傷する人もいます。




もう、気にしておりません。






私が、悪いからそのように思ったのでしょう。


お詫び申し上げます。



私は、転職が、天職になりました。


何事も、真剣に真剣に、


真摯に受け止める。






ありがとうございます。





ありがとうございます。












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最終更新日  2018.09.29 13:34:50
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