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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2023.03.23
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高校受験、大学受験、就職試験
すべて、第一希望では、滑り止めや、第二希望の会社に行くことなりました。

私の人生は、全て、そこから始まります。

でも、今振り返ると、
それが、良かった。

新聞奨学生として、
毎日3時30分起床、
朝刊を配り終えると、
着替えて、大学に通っていました。

夕刊も配達していました。
集金業務もしていました。

新規開拓も、行っていました。

月別、学生チャンピオンになって、優秀賞も頂きました。

真剣にやっていると、面白くなってきました。

新聞配達先の所長から
「もう1年、新聞配達しないか?」と言われました。

父親からも「としあき、もう1年やらないか?」と言われましたが、


「自分の目標があります。
  学生である以上、勉強が必用です。その勉強になるバイト先を自分で
  探します。」と言いました。

3月31日

昭和54年の3月31日に配達を終えると、

配達先のお客様や、家族の皆さんから

「ご苦労様。餞別だ。お金を受け取ってくれ。」と言われました。

もう、涙です。涙、涙、涙です。

「しっかり、勉強しろよ・」と数多くの方々に言われました。

長岡さん、山下のおばちゃん、錦織さんの家族さん、
床屋のおやじさん。

もう、今でも、その光景は、覚えています。

そして、父親が、ガンで、余命3年と言われていたので

大学の奨学金試験を受けました。

もちろん、不合格。

不合格です。

でも、受かったのです。
成績は、わるかったけど、

一番熱心な学生だ。・・・と言われて、学生課の職員さんから

「補欠合格だ。奨学金を3年間出します。」と言われたのです。

一番の前の席で、一番多く質問をしました。

一番早く、会場に出向き、

最後の最後まで、説明会場にいました。

しかも、無返済奨学金に補欠合格でした。

そして、一番長くバイトが出来る仕事を選び、
食事付き、お風呂付きのバイトを探しました。


デパートの清掃業務と

都議会議員の事務所のバイト先で、
しかも、テニスコートを経営していたので、

その事務所の清掃をバイト先に選びました。
3つのバイトを兼務して働いていました。


誰よりも先に、仕事先に出向き、
ひたすらに、ひたすらに働きました。

そして、大学には、しっかりと出向いていました。

ゼミは、荒木昭次郎先生の「地方行政ゼミ」に入りました。

今、市役所との連携をしている基礎を学びました。

そして、就職先を考えることになりました。
昭和56年8月の夏休みには、

会社訪問が始まりました。

では、次回へ続きます。








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最終更新日  2023.03.23 07:10:12
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