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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2023.03.24
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大学3年生時に、父親をガンで亡くしました。

確か、一日2,300円がかかる。

アパート代金、食事代、交通費

それを考えると、当時500円、550円の時給でしたので、

5時間以上、働けるバイトを探していました。

昼飯付き、お風呂(シャワー)付きのバイトを探していました。
時給より、長い時間働けるバイト先を考えていました。
1年生は、新聞配達(住込み、食事付き・・・朝、晩)

2年生から、3つのバイトをやっていました。
そして、大学4年生になると、

就職活動が始まりました。

新聞記者に?

商社に勤める?

アパレル業界????????

全く、全く、アパレル業界には、興味が無かったです。

就職課の担当者に
「としあき君、アパレル業界に行けよ。
  おまえみたいに、スグ行動するタイプは、アパレル向きだ。」と言われました。


三陽商会は、名古屋支店もあり。

そして、夏休みに、支店長面談。

内々で、OKという返事を頂きました。
10月1日に東京市ヶ谷の三陽商会本社に訪問しました。


運命のいたずらがあり、

結果的には第2希望の

東京スタイルに入社することになりました。

昭和57年4月1日に、東京スタイルに入社しました。


物凄い厳しい会社でした。

高円寺寮で、2人同部屋で
1年間2人部屋。

そして、退職するまで
高円寺寮で、お世話になりました。



休みは、ほとんど無し。
でも、苦痛ではなかった。

3年間勤めたら、転職しよう~。
・・・・・と考えていました。
昭和60年の夏だと記憶しています。

夏休み5日間をもらって、名古屋に帰省すると
父親のいとこのおじさんに相談しました。

「東京スタイルに居ろ。もう2年一生懸命働け。」と言われました。

同期の営業マンが、ドンドン退職していきます。

スーパー、病院の事務局などなど
お声が、かかるようになりました。


すると、昭和60年の秋ごろに、

常総市(以前は、水海道市)に本社がある
ロコレディさんの社長様(羽富 正三氏)より
転職しないか?
ーとお声をかけて、頂きました。
1年半で、約20回
創業者
羽富 正三氏と会いました。



次回へ続きます。








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最終更新日  2023.03.24 09:08:06
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