1825867 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2024.03.31
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
私は、昭和53年4月~昭和54年3月まで、川崎市多摩区の新聞配達所で 朝刊、夕刊、集金、新規開拓担当の勤労学生でした。
毎朝、3時30分起床 朝刊を配り終わるのが、6時30分 朝食を新聞配達所で、
済ませてから、 自転車で、小田急線向ヶ丘遊園まで行き、 東海大学まで、通っていました。


夕刊も、配っていました。 翌朝のチラシの準備をし、夕飯も、販売所で 済ませて、銭湯へ行っていました。 唯一の楽しみが、お風呂上りのかき氷でした。 日曜日は、夕刊がなかったので、 夜新宿まで、出向いて 食べ放題の焼肉屋さんに、行ったものです。


仕事と学校の両立は、きつく、 学校の授業中は、寝ていたことも、多かったです。
父親が、ガンだと知らされたのが、昭和53年10月の末だったと記憶しています。

11月上旬に手術でした。 名古屋まで、新幹線で戻りました。 「なんだ~、としあき 帰ってきたのか?  胃潰瘍だよ。心配するなよ~」と父親に言われました。

当時は、ガンは、本人に言わないのが、当たり前だったです。

1日だけの休みで、スグに新聞配達所に 戻りました。 もう、父親は、生きられない。
大学の授業料も、・・・・・・・・・。


昭和55年10月2日に、父親は、亡くなりました。 本当に、新聞配達は、私の人生で 大きな大きな想い出のウエイトを占めています。


配達先では、いつも、果物や、お駄賃や、 野菜、お菓子などを頂きました。 新規開拓の 月別学生チャンピオンになったことも、あります。
2年生からは、デパートの清掃のアルバイトや、 都議会議員さんが、経営しているテニスクラブの清掃や、 事務所でのアルバイトを掛け持ちしながら、働いていました。


大学3年生からは、ゼミもあり、 荒木教授に、大変お世話になりました。 成績は、もちろん、ビリに近い状態でしたが、 大学には、真面目に行っていました。
だって、自分で稼いだお金。 そして、大学からは、3年間 無返済の奨学金を頂いていました。 本当に、勉強したいなら、いろいろな制度がある。 ・・・・・・と自分から、情報を探していました。




大学4年生の秋には、 就職探しで、いろいろな会社を訪問しました。 新聞記者になろうと思い、 産経新聞社をうけようと考えましたが、 就職課で、「こんな成績では、ダメだ。やめとけ」と言われました。 総合商社も、2,3社訪問しましたが、 すべて、書類選考で、不可でした。 アパレル業界を就職課で、勧められました。 「えっ~、このオレが、アパレル業界??????????」


「冗談でしょう~、真面目に言ってくださいよ。」と就職課の職員さんに、言いました。 名前を今でも、憶えています。 ながおかさんという男性職員さんです。 もう、頭がクラクラして就職課を出ました。 証券会社も紹介されましたが、 「株屋みたいなところに、勤めるなよ。 新聞記者 止めとけ。もっと、真面目な会社を選べ。」と亡くなったじぃ~さんに言われました。 昭和57年4月当初は、 アパレル業界には、 まったく興味が、無かった。




でも、やりながら、ドンドン面白くなってきた。 東証一部上場会社 「東京スタイル」 この会社で、営業のイロハを教えて頂いた。 新聞配達で、営業の面白さを知りました。 人が、寝ている時に、働いて、働いて、 生活費、授業料を稼ぐ。 働いて、働いて、働く。 サラリーマンになって、 休みたいとか、遊びたいとか 思わなかった。必死に働く。 怒鳴られ、ビンタで叩かれ、 これでもか、これでもかと働いた。 5年半、東京スタイルさんで、お世話になりました。 昭和62年の8月まで、お世話になりました。 心から、感謝しています。 人生ドラマのような故羽富 正三との出会いが、 昭和60年の秋にありました。 転職を意識はじめたのは、東京スタイル勤務3年後でした。 スーパーからも、アパレルメーカーからも、病院の事務局からも、 お声をかけて頂いた。




「転職するなよ。転職するなよ。」と親戚からは、言われていました。 でも、もう、次のステップに行きたかった。 昭和60年つくば万博の年に、 ロコレディさんという会社を知った。 羽富 正三・・・・私の義父になるとは、夢にも思わなかった。 商売とは? 小売業とは? 人間関係とは? 1つ、1つ丁寧に教えて下さりました。 平成元年5月に妻と結婚と同時に、 婿養子になる。



仕事の対する想いは、 すべて、新聞配達から学びました。 今でも、時々、新聞配達している 夢を観ます。 父親が ガンで 余命3年。 授業料を 稼ぐ為に, 新聞拡張の 営業活動もしていました。 「あなたから、新聞をとりたいのよ。



銘柄なんか、関係ない。  あなたが、配達する新聞を読みたいのよ。   がんばって、卒業するんだよ。   中退するんじゃないよ。」と読者の方々から、応援メッセージも頂きました。 子供たちから、「新聞配達のお兄ちゃん~、ジュース飲んで~」と。 これからも、お客様の心を大切にする商売をしていきます。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.03.31 09:57:46
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.