佐賀の町を歴史ウォーキング9
こんばんは長崎街道を後にして、最後は樹齢1400年といわれる大楠を見るために、大楠がある“与賀神社”に向かいます。長崎街道の南にあるその与賀神社の参道を西から東に向かって歩くことにしました。与賀神社は佐賀城の西のお堀の横にあります。当神社の参道は八丁馬場(与賀馬場)といわれ、千数百メートルの間に3基の石造りの肥前鳥居(国重文)があります。八丁馬場は武家屋敷であったといわれています。今は侘しい裏通りとなってしまった道祖元町(さやのもとまち)が参道のスタート地点です。ここは佐賀城下の西、本庄江川に近く(現在の末広)にはたくさんの商家が並んでいたようです。道祖神社の西、この通りは昔繁盛した商家が今でも立ち並び都市景観重要建築物になています。参道沿いにはこのように水路が流れています。【石造りの肥前鳥居】【鶴 屋】佐賀銘菓マルボーロは、江戸時代、オランダ人が長崎に伝えたのがはじまりとされます。その元祖と伝えられるのが、寛永16年(1639年)創業の御菓子司、鶴屋です。その創業地は、本陣のあった呉服町の西隣、白山と伝えられます。与賀神社の参道の途中の西魚町に移って200年余になるということです。ここのマルボーロは、「丸房露」とされ、その包装は、「肥前國 佐賀八丁馬場 御菓子屋太兵衛」と書かれ、二代目太兵衛が長崎に出向き、オランダ人直伝の製法を初めて佐賀に持ち帰った由来を記したものだそうです。鶴屋を過ぎるとすぐに与賀神社に到着しました。【三の鳥居】三の鳥居は「佐賀荘正一位与止日女大明神」の銘をもち慶長8年(1603)鍋島直茂夫人藤女によって建納されたものだそうです。【石 橋】社前の鳥居をくぐって、小川に架けられた石橋は慶長11年(1606)に建立されたもので、これも国の重要文化財です。それを渡って朱塗りの楼門(国重文)は県内で最も古く全体の様式は和様ですが部分的に唐様の手法も使用されています。【楼 門】室町後期の建立この楼門は佐賀県内で最も古い木造建築物ということです。【本 殿】与賀神社は佐賀市を代表する神社の内の一社だと思われますが、静かで厳か「清々しい」という形容がピッタリの素晴らしい神社でした。【樹齢1400年の大楠】境内には大クス3本がありますが拝殿の南側にあるクス(県天然記念物)が最大で樹齢1,400年と推定され、そばに青木月斗の「我に迫る三千年の楠若葉」の句碑があります。どうでしたか佐賀の町は。まだまだ武家屋敷跡や紹介できなかった神社がありますが、佐賀に行くことがありましたら、ぜひ佐賀の歴史に触れて見てください。どこに行ってもそうですが、その町その町で歴史が今も息づいており、その歴史の先に現在の生活があるんだということを実感できます。大楠は1400年の間、人間の生き様をどうのように見てきたのでしょう。《終り》