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テーマ:ボディワークのすすめ(485)
カテゴリ:日々考えたこと
まずはお知らせ。
8月13日、8月27日に開催する「ボディワーク入門1」「ボディワーク入門2」の申し込みは締め切りました。 場所は三鷹の上五会館です。遠くからいらしていただかなくてはいけない方々、本当に申し訳ありません。よろしくお願いいたします。 玄関の電気をつけるなり、パシ、という小さな音がして、電球が切れた。まるで、こと切れたようだと思った。 いつか皆、死ぬ。当たり前のことだが、ニュースの中や、関わりあいのない他人に対して起きる出来事のように感じて生きてきた。親しい人から遠ざかって起こる分には、死が私を怖がらせることがなかった。いや、母親が肺がんの手術を受けたときですら、死は遠くにあって、私たち家族には関わりのないことだった。夜明け前の首都高で、S氏の話を聞くまでは。 最近知り合ったS氏は、2年前に恋人を亡くしている(その恋人は自ら命を絶ってしまったのだと共通の友人から聞いた)。結婚はしていなかったけれど、10年間という長い月日を二つ年上だった人とともに過ごしたそうだ。ところが、ある日、彼女は一人で逝ってしまった。とてもとても、言葉では言い表せないくらいに辛い日々だったそうだ。その辛い日々の中で最も苦しかったのは「お前がいなくなって、俺はこんなに辛い思いをしているんだ」と話せる相手がもうそこには居ないこと、だったそうだ。 どれほど、寂しかっただろう。どれほど、それを伝えたかったことか。眠気が押し寄せてくる時間帯、オレンジ色のあかりで照らされるトンネルの中で聞いた話は、夢の中にいるようでいて、恐ろしくリアルだった。もう居ない恋人に向かって訴えるS氏と、それをなす術もなく空中で見守る恋人を想像し、胸が苦しくなった。 愚痴も、罵倒も、相手がいて初めて成り立つ。相手がいつまでもここに居てくれることを当たり前のように勘違いしてしまうが、死は平等に訪れる。私が大切に思っている人(たち)も、いつかは私を残して旅立つだろう。その時、私も、自分の嘆きを聞いてくれる相手が居ないことに傷つき、戸惑い、恨み、悲しむのだろう。その日はいつか確実に来るのであれば、時間と空間を共有し、話に耳を傾けてくれる相手が生きて存在することに感謝をしなくては。伝えなくては。伝えるという行為は、自らを癒す行為だ。 今日という日には、昨日にも明日にも無い要素が詰まっている。もう戻ってこないのだから、逃さないようにしよう。大切にしていこう。そして、夜となく、朝となく、いつでも聞いて、応えてくれてる人がいることに感謝しよう。駆けつけてくれて、待っていてくれてありがとう。精一杯、生きましょう。 この場を借りて: ずぼしさん、素晴らしい食事と時間と出会いをありがとう。これまでもさまざまなきっかけを与えてくださったことに感謝します。Yumiさん、そして辛い話を淡々と語ってくださったSさん、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.01 23:22:01
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