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カテゴリ:カウンセリング・心理学
アドラー心理学は、「他者を支配しないで生きる決心をすること」「他者に関心を持って相手を援助しようとすること」を思想として治療体系が作られている。理論体系については過去のブログに簡単に説明したものがあるので、興味のある方は参考にしていただきたい。 アドラー1、アドラー2
アドラー心理学の講演は、会員も非会員も共に聴くことができるし、ワークショップやセミナーに参加するのも自由だ。学会のサイトには、アメリカで活躍しているアドレリアン(アドラーを勉強する人)と日本で基礎講座を教えるアドレリアンに「アドラー心理学とはなんですか?」という題目で4つの質問をしているページがある。それぞれのアドレリアンの答えに個性があって、非常に面白い。 以下、サイトからの引用で少々長くなるが一部掲載する。 ===================================================== 質問「アドラー心理学会には、非専門家の会員もたくさんいると聞きました。専門家と非専門家が一緒に学ぶことについてコメントをいただけませんか?」 ジェーンネルセン博士 回答:それはアドラー心理学の基本です。すなわち、すべての人への平等と尊敬ですね。人はお互い同士学びあうのです。教育程度が高いからといって他の人の上にいるわけではありあません。すべての人は違う体験を持って生きていて、その中に、他の人の助けになるようなものがあるのです。 野田俊作氏 回答:アドラー心理学はすべての人間のための宝物です。それはあらゆる人に向かって開かれていなければなりません。独占する権利は心理学や精神医学の専門家にはないのです。専門家にとっては、非専門家とともに学ぶことはとても有益で、狭い視野に陥る危険を、非専門家の健全な常識が予防してくれるのです。非専門家にとっては、アドラー心理学運動を通じて人類の未来に貢献する機会をもつことは、とても興奮する体験だと思います。 岸見一郎氏 回答:アドラーは、ある時、ニューヨークの医師会が、アドラーの理論だけを精神科の治療に使うために採用したい、ただし医師だけに教え、他の人には教えないという条件を提示した時、その申し出を断わりました。アドラーはいいました。「私の心理学は〔専門家だけのものではなくて〕すべての人のものだ」と。アドラーの時代も今もアドラー心理学は「すべての人」ものなのです。 アドラー心理学を学び始めてまもない頃、野田先生にこんなことをいわれたことがあります。「井戸端会議のできる哲学者でなければ意味がないよ」と。 ソクラテスは一日中アテナイの青年たちと議論をしていました。アドラーは講演が好きで講演の後、質問をしにくる人に囲まれるのが好きでした。場所を変え、熱心な学生や友人たちと夜遅くまでカフェで議論をしました。 私もそんなソクラテスやアドラーのように研究室を出て、井戸端会議を楽しめる哲学者になろう、と思いました。以来、「肱掛椅子の哲学者」(armchair philosopher)ではなく、市井の人として生きたい、と考えるようになりました。「井戸端会議」から多くのことを学んでいます。 アドラー心理学は専門家と非専門家が共同して作り上げてきた心理学なのです。 田中禎氏 回答:アドラー心理学そのものが専門家、非専門家をわけない心理学だと思うのです。誰が勉強してもいいし、誰がそれを実践してもいい。他職種の専門家が集まっても、非専門家がそこに同席しても同じ話ができる心理学です。 諸氏が異口同語にして言わんとするのは「良いものは外に向かって開かれなくてはいけない。」「学びは共同作業によって生まれるものだ」「教えは全ての人のものだ」であろう。 閉じられた空間で物事が行われるとき、そこには新しいものは生まれにくく、選民意識だけが高まっていくだろう。「知る者」はそこに存在する人々のみだという錯覚が生まれ、内部には新たな紛争が巻き起こっていくだろう。アイダ・ロルフが生きていたら、きっとアドラーと同じ考えを持っていただろうと想像した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.05 03:26:03
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