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2009年11月28日
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カテゴリ:旅日記
先週末の三連休を利用して行ってきました。

大阪にホテルを取ったので興福寺に行ったのは
朝一番を狙って時間を気にせず見られる中日の22日です。
7時20分発の近鉄線に乗って奈良到着が8時ちょっと前、
テイクアウトのコーヒーを買って興福寺に向かうとまず見えてくる北円堂でも既にプチ行列が。
「北円堂でこれなら阿修羅さんのいる仮金堂はもっと並んでるはず」と先を急ぐと
案の定長蛇の列で私たちが並べたのは五重塔と南円堂の中間ぐらい。
まあ、うん、覚悟はしてたからいいんですけどね。
この時点で8時を少し回ったぐらいだったのですが券売所が開くのは8時50分。
本当に朝一番で来た人は何時から並んだんだろうなどと考えているうちに
私たちの後にもどんどん人が並んであっという間に最後尾が見えない状態に。

どんどん並ぶ

中央に見えるのが南円堂。もはや列がどちら方向まで伸びているのかさえわかりません。

この混雑に機転を利かせてくれたのか券売所が8時30分に開きました。
前倒しして開けてくれるとは思ってなかったのでちょっと嬉しい。
列が動き始め、チケットを買って今度は拝観の列の方に並びます。
拝観は9時からですがこちらも混雑に配慮してか前倒しで団体客らしき人たちを
9時前からお堂の中に入れてました。
そうでもしないと待つスペースすらなくなりそうな勢いでしたからね。
主人と他愛のない話をしたり携帯音楽プレイヤーで最近お気に入りのNightwishを聴いたりしながら
ひたすら、ただひたすら待ちます。
ゆっくりゆっくり行列が動いてそろそろ仮金堂に入れそう、と思ったのが10時前ぐらい。
その時点で私たちの後に続く行列は

人、人、人・・・ とんでもないことに。

興福寺の境内がこんなに人で溢れかえってるのなんて見たことないです。

ともあれやっとお堂の中に入れる!

間もなく入場

この中に東京でお会いした数々の仏たちが勢ぞろいしていらっしゃるかと思うと
期待で胸が高鳴ります。
入り口のテンプルカーテンの下を通っていよいよ堂内へ。

・・・いらっしゃいました、東京の博物館でお会いした仏たちが一堂に会して。
しかもあの時とは全く違う、魂のこもった生き生きとしたお姿で。
東京で観た時は「側(がわ)」だけの展示という印象が強くて
失礼を承知で言えばまるでぬけがらか標本のようですらあった像たちが
興福寺では間違いなく「生きて」いらっしゃいました。

そう、「生きて」いる。 この仏たちは数百年、千年以上の時を越えて。

熱いものがこみ上げてくるのを抑えることができませんでした。
やっと本当にお会いできた、かりそめではなく本来のお姿で。
昂ぶった感情を抑えるのに少し時間がかかりました。
仏たちの正面に進むまで時間があったのがかえって幸いして
正対する頃には再会の感動で震えすぎた心が大分落ち着きました。

落ち着いて改めて群像を見て感じたもの、それは二つの相反することでした。

混沌と調和。

阿修羅だけではない、八部衆と十大弟子の位置は
ほとんどがその本来の配置ではないと直感しました。
興行優先のためとはいえこれらの像がすべて前方に配置されているのは
バランス的に絶対におかしい。
そこに感じられるのはとてつもない混沌です。
以前の日記で「阿修羅さんの立ち位置が違うのでは」と書きましたが
特に迦楼羅は阿修羅同様こんな前にいるべき像ではないではないのでは、と思いました。
八部衆の中で群を抜く人気の阿修羅を除けば最も有名であろうと思われるのがこの迦楼羅。
鶏の頭を持つ半獣神という特徴的な外見が阿修羅の次に目を引く所以でしょうが
そうであればこそやはり前に出張って置かれる像ではないはず。
阿修羅が三面六臂という他の仏と違う姿ならば迦楼羅もまた鶏頭を持つ異形の神。
この二像は奥の方に配置して睨みを利かせてこそ異形の存在感が生きるはずではないかと。
阿修羅にいたっては本尊の釈迦如来坐像の前に配置されることによって
せっかくの存在感が消えてしまっていました。
正面から見ると完全に本尊に吸収されてしまうのです。
釈迦如来の見下ろす視線の先に阿修羅がいるという奇妙な配置。
私にはそれがまるで釈迦が「阿修羅よ、お前の居るべき場所はそこではない」と
にらみつけていらっしゃるようにさえ思えました。
そして阿修羅もまた「私は釈迦如来様の前に居るべきではない、恐れ多い」と
困ってらっしゃるように見受けられたのです。
実にお気の毒だしもったいない。
あれほど優美な阿修羅像の六本の腕の魅力がこれでは全くわからないではないか。

この日買い求めた図版で後日確認してわかったことですが
やはり阿修羅と迦楼羅は本来は釈迦如来像の向かって左奥に配置されていたようです。
如来に近い方に阿修羅、その右隣(向かって左隣)に迦楼羅。
本尊の如来と仏法を守護し自らの存在感を示すなら当然の配置です。
残念ながら今回はそのような配置になっていなかった。
阿修羅メインの興行優先の展示だから仕方がないとわかっていても
八部衆、十大弟子がお堂に安置される機会はこの後おそらくないであろうことを考えると
残念でなりません。

しかしそのような著しくバランスを欠いた展示であるはずなのに
見ている私に群像が与えた印象は不思議な調和でした。
それは四天王や薬王、薬上の両菩薩像がしっかり後を守っている配置だったこともあるでしょう。
しかし何といっても像たちがすべて興福寺にあり魂がこもっていること、
それが配置の違和感を超えて調和を醸し出していたような気がしてなりません。
やはり仏像はお寺にあってこそなのです。

混沌と調和は共存できるものなのですね。
考えてみれば八部衆そのものが元は仏教ではなくインドの土着の宗教にルーツを持ちます。
つまり存在そのものからしてカオスを内包する性質を持つ仏たちなのです。
それでいて何の違和感もなく仏教に溶け込んでいるのだから
配置が違う程度のことなど楽々超えて調和を保てるのでしょう。

お堂の中には30分以上いたでしょうか。
許されるならずっといたい気持ちでしたが北円堂もあるし
午後からは西ノ京方面の薬師寺、唐招提寺を拝観する予定をたてていたので
後ろ髪引かれる気持ちで仮金堂を後にしました。





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Last updated  2009年11月28日 19時53分46秒
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