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私は音楽を聞くのが好きだ。
気分が高揚している時も落ち込んでいる時も、 どんな時でも音楽は私の心に寄り添ってくれる。 特に辛くて心が荒(すさ)んでいる時、私は音楽によって潤い、癒やされる。 だが1月上旬の朝日新聞の天声人語を読んで、おやっと思った。 「<心がうらぶれたときは 音楽を聞くな><空気と水と石ころぐらいしかない所へ そっと沈黙を食べに行け! 遠くから生きるための言葉がこだましてくるから> 清岡卓行の『耳を閉じて』」 このような詩が載っていたのである。 そして天声人語は次のように続く。 「音楽の効用は気晴らしの域を超えるが、その癒やしは万能ではない。」 それは「音に紛らせただけの傷心」である。 辛いときは 「逃げずに挫折や傷心と向き合えば、再起の手がかりが降臨する。心のささくれが耐えぬ現代人には『無音の恵み』こそ良薬なのかもしれない」、と。 苦しい時、私は音楽を聞くことで、その苦しさから逃げているのだろうか。 確かに音楽を聞いているとき、私はその曲に心を委ね、自分自身の問題から少し遠ざかっているかもしれない。 だが、歌詞を聞いて自分の状態と照らし合わせたり、共感したり、連想して何かを思い出したりすることで、自身の問題と向き合う事があるのもまた事実であると思う。 だから音楽には 聞く者を無心にさせ癒す効果も、 現実的な問題と向き合わせ考えさせる効果もあるのではないかと思う。 ただ 時と場合によって、美しい音楽は、私自身の問題を真っ直ぐ見つめるための道中に入り込み、雑音になってしまうこともあるかもしれない。 音が溢れているこの時代、無音の状態に身を置くこともまた必要なのだろう。 一概には言えない。 とりあえず確かなのは、 私は音楽が好き、ということなんだ。 それで十分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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