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青い島のひだまりで

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2004.08.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
年に何度か夢に出てくる、初恋の人、Sくん。夢の中で、わたしは、いつもSくんを捜している。やっと見つけ出したSくんは、なぜかいつも荒んだ生活をしている。“ずっと捜してたんだよ”と、決まってわたしはいう。それでも、またSくんは、どこかに消えてしまう。最近、そんなSくんは、夢に出てこなくなった。

Sくんは、中学の同級生で、3年間のうち何度か席が隣になった。彼は、グリーンピースがきらいで、給食に出ると、ポンポンとわたしのお皿に遠慮なく放り込んだ。毎朝、漢字と数学のドリルをする時間があり、たまに簡単なテストがあった。でも範囲が広かったから、前半と後半でページを分けて互いに覚えてきて、テスト中、さっと答案用紙を交換しておそれぞれが担当したところを書いたこともある。(⇒すでに時効成立?)どっちの方が背が伸びた、そんな“くらべっこ”までしていた。

高校は別々になったが、たまに朝、通学途中に会うようになった。彼は並木道を、さっと自転車で下ってきて、ちょっと停まってくれ“おはよう”と。今の中、高校生に話したら失笑されそうなくらい、さわやかでウブだった。

その後、Sくんと再会したのは短大の1回生の冬休みだった。わたしは、京都におり彼は東京にいた。彼の第一志望は京都の大学だったが、ダメだったこともそのとき知った。今でこそ、ケータイやメールでどこにいてもリアルタイムに連絡をとることができるが、当然そんな文明の利器もない時代のことだ。そして、なにより、この時わたしには、Sくんに対する気持ちはあったものの、どうしてもとらわれて仕方のない人がいた。自分の気持ちすら受け止めてもらえていなかったのに、Sくんと1対1で向かい合っていくことはできなかった。

今から思えば、それが若さだったのかもしれない。一途な純真な気持ち。かけひきとか、要領のよさ、狡猾さ、そんなものは持ちえてなかった。“25歳まで結婚するな”とまでいってくれたSくん。その言葉の重みや、込められた気持ちが理解できかねたわたしは、あまりにも幼かったのかもしれない。そんな言葉は、一生のうちでSくん以外からいわれることはないような気がする。むしろ当時のわたしは、“好きだ”とストレートにいってほしかった。(その点、hiroくんは“このままじゃいけないと思うもん”“いいと思うもん”と、長い時間“クルクル”していたな…)

Sくんが社会人になったころまでは、なんとか連絡をとってもいたが、数年後あらためてSくんに連絡しようとしたが、時すでに遅しで、行方不明だった。
わたしも社会人になってからは、いろいろなことがあった。Sくんとダメになった原因の相手とも、“事実は小説より奇なり”というけれど、まあいろいろあった。それでも、その時々で好きになった人は、その時点では、自分にとって最高の人だと思えた。だが、そうはいってもわたしの中ではSくんを越えられない何かがあったような気がする。

人生は正しいのです。どんな場合にも…。詩人リルケの言葉だ。学校の先生もよくいう。“人生はやり直しがきく”と。わたしも思う。人生はどう生きようが正しい、やり直しだってきく。でも、とり返しはできない。わたしが下した19歳の決断は、その後どうすることもできなかった。

人生には岐路がある。そして、必ずいつかは決断しなければならない。

もし、わたしの人生で誤りがあるとすれば、それは19歳のときの決断だ。長い間、おそらく潜在意識の中でそう感じていた気がする。だから、夢の中でもSくんを捜し続けていたのだと思う。

hiroくんに出会ったとき、Sくんとのやりとりの感情を思い出した。“おはよう”とだけの短い会話をかわしていたときの気持ち。hiroくんには、二度目の“初恋”をしたような気がしている。Sくんと共有した時間は多くないが、それでももしかしたらhiroくんと過ごす時間と同じような時間を過ごすのでないか、そう思ったりする。

たまに思う。青く澄んだ空を仰ぐと、Sくんもどこかで同じ空を見ているだろうなって。昔のような“好き”という気持ちではないが、それでも何かさわやかでキュンとなる気持ちは心の中に残っている。
死ぬまでにもう1度会いたいな、と思う。







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最終更新日  2004.08.29 17:28:17
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