カテゴリ:読・聴・観
8月はヤダよ~こういう番組が多くて・・・まさかまた「火垂るの墓」とかやるのだろうか・・・
と言いつつ「象のはな子」を観てしまった。 ちょうど猛獣処分が行われるくだりから観たのだが、まだドラマの前半「え?2時間くらいのドラマで早くないか?」と思っていた。 それは後半を観ていってわかったが、戦時中から現在に至るまでの長い話なのだ。 辛かった、いきなり涙がポタポタ落ちてしまった。 「そういうこと」があったことを知っていたくらいだったので、 動物によっては毒入りの餌を食べなかったり、苦しむばかりで死に至らず飼育係が直接手を下して処分したなんてことまで知らなかった。 象はとても知能が高く記憶力もよいとは別の動物番組で見たことがある。 結局、餓死させるという酷い方法で処分された。 そこまでは「人間の都合で殺された動物が可哀相、戦争なんてしちゃいけないんだっ!」という話である。 涙していた私が冷めてしまったのは、終戦後また動物園に象を連れてこようという話になった辺りからだ。 前に書いたことあるが、私は究極的な言い方をすれば動物園は要らない派なのだ。 本来の生息地から連れてこられて人間の楽しみの為に檻に入れられる。 どんなに飼育係の方々が愛情を注いで、実際そこに何らかの信頼関係が生まれることが素晴らしいにしても、だ。 犬は人と共に生きるものかもしれないが、象やキリンやライオンは違うだろう。 タイなどでは象も知能の高さゆえか人と共に生きているのかもしれないが、もともとそうして暮らしの中にいる環境はまた別だと思う。 動物園に象がいなくてどうするとか子供達の喜ぶ姿が見たいとか妙な使命感を叫んでいる場面があったがしらけてしまった。 実際私も子供を連れて動物園に行く。人間以外にこういう生き物がいることを知る、だから人間の都合で動物の命を奪ったりしちゃいけないんだと学ぶことはできる。 実際に間近で見ることは興味深い。だけど、私は動物園(あるいはペットショップ)に行く度に見ている自分にも矛盾を感じてしまう。 歓迎されて日本に来た二代目はな子の起こした悲劇が象徴的だ。 一方で人間がこれだけ幅をきかせている現在、人間がまったく動物に関わらずに生きることは現実的でないかもしれない。 ドラマ中では園長役の堺正章が「猛獣達が空襲で街に出てしまって人を襲わないといえるか」と殺処分に躊躇する飼育係達に自らも涙をのみ諭す場面があったが、 そういう心配なら戦時中でなくてもあるのではないのか。 ドラマの話をちょっと。 結局「反町」の出番はあれで終わりか~? 二代目はな子の事故の報は耳に入るのではないかと思うのだが、そこでまた出てくるかと思ったけど出なかったね。 北村一輝って俳優は恥ずかしながら知らなかったのだが、すごい若い人でもないんだ。 窪塚弟は生意気そうなのがさすが(違) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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