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元々、建設会社の二代目である私は、父よりも資金繰り等の経営の交渉ごとは長けていて、その様な事は全て一人で行っていた。
そして我社が、公共工事の受注が年間売り上げの大半を占める建設会社である以上、 昨今の国の政策を察知して、自社の営業改革を行わなければならない事を認識しているにもかかわらず、 日々の業務と目の前の資金繰りに力を注ぐだけに終わっていた。 その日その日を過ごして行くだけに留まっていた。 少しでもポジティブに・・・とは自分に言い聞かせてきたつもりではあった。 しかし、ここ数年の我社の業績を見る限り、前向きに・・・という思考は、 自分への慰め以外何にもならない事は、本人である自分が一番理解していた。 時は流れていく・・・毎日焦っていた・・・ このままでは我社は本当につぶれてしまう。 そうなったら自ら自分の命を絶つだけだ。 生命保険金がある・・・ 日々の焦りは余計に自分を泥沼に追い込んでいく・・・ 建設工事の公共事業は、殆ど入札というルールに則り受注が決まる。 バブル期は、談合、ダンピングなんて日常の事。 そんな時代が懐かしかった。 談合の場では、どこの業者も抱えきれないほどの手持ち工事のストックがあり、 談合の場での交渉により工事受注を勝ち取る、と言うよりは、 この時代は、受注して頂く業者を無理言ってお願いする、という様な不思議な現象が起きている時代であった。 誰かに受注してもらわないと、せっかく指名頂いた事だし、後々役所間で問題が起きるし、やりたくない工事でも無碍には出来ない・・・ このような時代であった。 木造住宅?リフォーム? この忙しい時に、なんでそんな手離れの悪い仕事をしなければならないんだ・・・ このような時代でもあった。 懐かしすぎる時代・・・けれどそれで収めてしまうには余りに忍びない・・・ そんな時代でも、建設各社は技術を出し切って汗水垂らして頑張ったじゃないか・・・ 休日なんてあったものじゃない・・・ 建設業界で働く若者は、3K、6K・・・いや8K等と揶揄されながらも、とにかく働いた。 そしてその対価として受け取る利益・・・そのお金の元は税金からの捻出となるわけだが、 結局その利益は工事に携わった者全員に振り分けられ、 そしてまた何らかの手段でもって国に帰る。 その循環作用を生み出している最たる業界は建設業界である。 そして基幹産業と位置づけられ、護送船団、協調性、そして無言でのモラル・・・それらによって、私は建設業界ほど安定したものはないと思っていた。 将来も計算していた。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月03日 13時14分34秒
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