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カテゴリ:巣鴨から30分以内の散歩
築地の風景 第2弾!!
築地市場から晴海通りに戻るとき、右側に波除稲荷神社があります。 小さな神社でうっかり通り過ぎてしまいそうですが、由緒正しい神社のようです。 お祭りも盛んです。 波除稲荷神社HPより http://www.namiyoke.or.jp/index.html 「今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。 そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。 それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。」 以上は神社内の看板にもかかれています。 「災難を除け、波を乗り切る」ともかかれていました。 まず本社にお参り(写真のお二人は通りすがりの方です。中国から来られた方のようでした) 獅子頭一対(中央区文化財)お祭りには御神輿とこの大きな獅子頭が練り歩きます。 この獅子頭は狛犬の代わりなのか、本社の両脇に鎮座しています。 木造、金梨地塗り。嘉永元年(1848)作。不思議とその後の天災や戦災にも修理中であったり助けだされたりと無事でした。やはり災難除けになりますね。 日本人は、美味しい美味しいといって食べてしまう卵にも哀れと感謝の気持ちをこめます。卵塚と海老塚です。築地は美味しい卵焼きのお店がおおいので卵塚ができたのでしょう。海老塚は天ぷらやさんが作ったようです。 寿司塚と鮟鱇(あんこう)塚です。 当然それならお寿司にも感謝と回向の気持ちをこめて・・。これらの塚の由来は意外と新しく昭和47年から平成5年くらいにそれぞれ奉納されました。他にも生魚塚や蛤石などが境内に並んでいます。 ほっと一息、市場場内に向かう海幸橋跡に咲くヒマワリの花です。 市場は殺傷の場でもあります。ですから働く人たちは縁起をかついでいます。 それがこの波除稲荷神社信仰となっているのでしょう。 この獅子頭が練り歩く夏のお祭りには美味しそうな握り寿司も奉納されています。 詳しくは公式HPをどうぞ。 波除稲荷神社HPより http://www.namiyoke.or.jp/index.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.16 18:59:34
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