本日は池上本門寺・・。
30分より時間は掛かります。地下鉄都営三田線で三田まで行き、都営浅草線に乗ります。京急が乗り入れていますから、隣の泉岳寺で各駅に乗り換え、西馬込駅(都営浅草線終点)で織ります。そこから徒歩8分です。所用時間は乗り換えも入れて50分はかかるでしょう。西馬込駅で太田文士村散歩というコースをみつけ、うろうろしましたが、結局どこにも行けずに、遠回りをして、池上本門寺に着きました。裏側の本門寺公園から入りました。自然の山の雰囲気で、中にはデイキャンプ場やグランド、花見の公園などもあり、空気のよいいいところでした。本門寺とは、日蓮聖人が弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲の屋敷に逗留中、亡くなりました。弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳だったそうです。そのお屋敷がお寺となりました。96段ある石段は加藤清正が寄進したといわれています。この4月7日、8日は花祭りが行われていました。普段開かない、五重塔が開かれ、お経が上げられていました。この五重塔は関東でも古い物だそうです。関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔である。 本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、翌13年に上棟式を厳修した。(池上本文寺HPより)しんりょくにけぶる五重塔五重塔祭り・・意外に参列者は少なく、きっと観光客は私たちぐらいだったのかも・・。ご近所の奥様(料亭などの女将さんかな)、まといをもった鳶の組の人たち・・。が目立っていました。展望台からみた五重塔・・。加藤清正の石段・・。