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カテゴリ:ケアマネ物語
正直に言えば、ケアマネをやめてから1年以上たち、多少時代遅れになってきていると感じます。
時代遅れというより、やはり現場100回、現場にいてこそだなあと感じたりしています。 しかし現場にいると、また視野が狭くなり自分のケースだけで右往左往しがちです。 少しいろいろなケースを掘り出してみたいと思います。 さて、話は変わりますが、家族間の殺人でこの正月はあけました。怖いことにバラバラにしています。 1つは兄が妹を・・ 1つは妻が夫を・・ それぞれその人たちには理由があるでしょう。まずなぜ殺すのか・・。 家族間の殺人は一つには一種の自殺、無理心中と考えます。それは家族はあまりに濃密な関係なので、家族を殺すとき自分をも殺すようなきがするのではと思います。自分の苦しみは耐えることができる。・・ それは、相手に執着しすぎているからです。離れれば互いを引き合う力は弱くなっていくのに、そうは思えないのです。別れても身近に感じすぎている。 まったく別の魂であり、離れれば互いに別の世界や生き方が現れると思えば今殺さなくてすむはずです。 さて、介護や看護の問題も同じです。介護は家族の自分がしなくては・・何があっても自分がしなくては・・、子供だから、配偶者だから、血縁だから、見捨てることはできない。人として間違えている。 そんなことはありません 義務感で介護や看護をするのなら、ここはお金を出す、知恵を出す、できるだけはやるけれどできない部分は介護保険を上手に利用する。 これが一番大切です。最近は子供を愛せない母親も増えています。また実の親だって嫌いという人もいます。 それを恥じる必要はありません。自分ができることはなにか考える。愛せないなら、他の人に任せてもいいのです。そのかわり自分ができることはできるだけやるようにしましょう。他の人の世話ならできるのなら、交換介護だってありえます。 まあ今日はこのところで・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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