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カテゴリ:ほんわか介護 家庭と介護
似たようなテーマでよく書いていますが、またこのテーマで・・
私は団塊の世代ですが、自分自身がすでに介護が必要になる年齢となりました。 まあまだではありますが、以前なら赤いちゃんちゃんこです。 もう床の間に飾るような置物のような存在に、大昔ならなっていたということです。 長生きをする時代になり、親がいます。連れ合いの親は結婚前に亡くなっていますし、もし存命でも長男が家を継いでいるので、多分介護はしないでよかったのだろうと思います。 しかし、連れ合いと年齢が離れていますので、きっと老々介護への道へと進む事でしょう。 先日もちょっと書きましたが、母が少しぼけ気味で心配だと思っていました。 体調も良くなく、これはそろそろ、介護問題が我が家に直面してきたと覚悟しています。 問題点は物理的な面です。 今までは片道だけで3時間近くかかり、通うのは困難なところから片道1時間半ぐらいのところに越してもらいました。時間的には半分ですが、交通の便がいいので、半分より短縮されています。 私は自営業の手伝いもしていますし、ヒッキー気味の娘もいて、家庭も目をはなせません。 で、時に気が重くなったり、先はどうするのなどと、思い惑いますが、基本的にはなるようになるし、そのときに最適な方法を考えればいいと思っています。 私自身万全の健康状態ではないので、無理はしない、その辺が大事かもしれません。 父も脳梗塞の後遺症で左片麻痺です。おかげさまで自分の事はなんとか自分でできています。 家族への思い、親への思い、反対に親からの思い・・誰にでもそれぞれあるでしょうが、その家庭独自の過去、歴史があり、悩みに対する100%の正解は得られ無いと思います。 我が家も含めてですが、現在悩んでいられる方、当事者の方、今年にも、明日にも問題が起きるかもしれない方・・へ 自分のキャパシティの範囲でできる最大限のことをやりましょう。人から見たら足りないと思われていいです。どのような事でも、それが自分でできる最大限なら、それでいいのです。 このキャパシティ? とはんんでしょう。体力と寛容と愛情の入れ物だと私は思っています。これがとっても大きい人もいれば、小さい人もいますが、それは背が低いとか高いとかの個性のようなものだと思いましょう。自分は他の人に比べてやれていないのではと悩みがちです。 しかし、親は自分の子供が苦しんでいたり、辛そうなのを見るのは忍びないはずです。 ヘルパーさんを頼んだり、施設を利用したり、他の家族を巻き込んだりしましょう。 大事な事は考えすぎない、何か起きても罪悪感にさいなまれない・・。人は生まれ死んでいくものです。私たちもいずれその立場になります。 以前どなたかの日記に書き込んだ事があります。優しさは罪かもしれない..と。 いたれりつくせりの介護、看護で、かえってできる事ができなくなったりしているかもしれません。 いままで私はいたれりつくせり、やってあげられる事はほかにも無いかとケアプランを立ててきました。むろん介護保険内のプランなどできる事には限りがあります。 申し上げたい事は、あまり完璧に尽くすような介護プランより、アバウトでたまには手を抜くぐらいで、本人のやる気がでるかもしれません。 ケアマネ時代、家族や本人には、私は大変な事も大変じゃないようにいってきました。 これは大変だ!! 早くしないと大事になる!! と叫んでみても。起きてしまった事は取り返しはつきません。 はは、よくあることですよ。気にしないきにしない。そうだ、次はこうしてみましょう。 などといいながら心の底で慌てふためいていたりしている私がいます。 でも当事者はああ、なんでもないんだ。わたしだけじゃないんだ・・と思うと心が軽くなり、少し状態が良くなっていたりします。 私は他人なので、できます。これが実の親子関係でうまくいくかは難しい事ですが、今のところ何事も、大騒ぎしないようにしています。 うちの両親にしても、私が手を出すときっと依存してしまう性格なので、もう少し様子をみていようと・・。 まあ、先の事はわかりませんが。 じっさい我が家も、とにかく、どうにかしなくてはというところまで来ている事は確かです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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