今を生きる(2)
今を生きる(2) 高次脳機能障害の方は、記憶が数時間だったり、数分しか保てないということもあるようですね。この例でもきっと限りなくつづく今に生きているのでしょう。 アルツハイマーなど認知症は自分がなくなってしまう。違う自分になると考えられていますが、多分違うと思います。 「明日の記憶」という映画のCMで、僕が僕でなくなってもいいのか?というような意味の言葉を主人公が言っています。 いえ、愛している奥様を忘れるのは、最後で、息をすることも忘れる頃でしょう。もし奥様を忘れてしまうのであれば、人生において最大の関心事の人ではないのかもしれません。もっとも夫婦というものは元々は他人で、一番近い親族なのに血縁ではないという不思議な関係です。また人生の後半生に巡り会った人で、その人の人生でいつがハイライトだったのかによって記憶から消えない人は変わってきます。 男性は仕事をバリバリやっていたときが人生のハイライトのようで、自分が居なければ契約が締結できない・・。などと言い出したりします。 女性は女学校時代か、子供が小さくて自分を頼りにしてくれていた時代、バリバリの母親だった頃などによく戻ってしまいます。 記憶の中にとどまっている、生まれ変わる続けるDNAにバックアップしつづけられる記憶があるかぎり、その人はその人でなくなることはありません。 今現在が20年前、50年前であっても、その人にとって、今です。その人を支える私たちはその人の今を大切にしましょう。 強く否定したり、拒否したり、間違いを正したりしても意味はありません。次の瞬間に違う時代のその人が現れるからです。 「だめでしょ、お婆ちゃん、お婆ちゃんは18歳じゃないのよ、80歳よ。どうかしちゃったの。」 「あら、あんたこそ馬鹿を言ってるんじゃないよ。私は80歳に決まってるじゃない。」と突然、リアルタイムに戻っていたりします。 「ところで、あんたは誰。」 「やあねえ、私は娘の○○子よ。」 「○○子は10歳だよ。今日は学校から帰ってくるのが遅いね。」 「ええ、私は50歳よ。」 「ばかだねえ、そんなことは知っているよ。あんたも老けたね。すっかりおばさんだね。」 「・・・。」 「ところで、あんたは誰?」 「だから・・」とまるでタイムマシンに乗っていったり来たりするような会話です。 これが認知症のなせるわざだと、始めはきづかない家族もいらっしゃいます。お母さんがボケルなんて・・。 なにか思い違いをしているのだから、と一生懸命間違いを正し、私があなたの娘ですよと叫んでみても、相手の現時点がどこにあるのかわからないので、うまくいきません。きっと嫌なおばさんが来て、何か言っている。と思われるだけです。 もしかすれば、もうすぐ画期的な治療法が確立され、進行を食い止めたり、症状がかるくなる日がくるでしょう。 それまでは、今を一生懸命いきていただきましょう。 今は未来に続く貴重な一瞬です。認知症であっても、今は輝かしい生の時間です。これから少しづつ、レベルが落ちていきます。ですから今が一番貴重な一瞬といえます。 その貴重な今を怒鳴ったり、嫌な気持ちで過ごすことはもったいない。(オワリ)