お久しぶりの日記です。
お久しぶりです。まず、ご報告!無事に卒論を提出しましたー!!! ヨカッター!! 本当に一時はどうなることかと苦悩しましたが、何とか形にして出すことができました。いろいろと「卒論だから」といって迷惑をかけた方々、本当にありがとうございました。「あと1日あれば、もう少しがんばれたかも・・」そういう思いは耐えませんが、一生の思い出になったと思います。以下、序章だけ、掲載してみました。 やっぱ、なかなか普通に読んで面白いとは、思えませんかね??ド政治学でごめんなさい。 議院内閣制における内閣と首相 2001年4月26日、小泉純一郎が第87代内閣総理大臣に指名された。「自民党を変える。日本を変える」をスローガンにして党総裁選を勝利した小泉は、首相就任直後に歴代首相の中で最も高い85%の内閣支持率を記録した。図0―1は歴代首相の就任直後における内閣支持率を、高かった順に並べている。歴代の自民党政権のみならず、非自民党政権であった細川内閣を上回った支持率で政権運営を開始したことがこの図からわかる。(図表省略)史上最高の支持率でスタートした小泉がスローガンに掲げた「自民党を変える」とはどのような意味だったのか。2005年8月5日の参議院郵政民営化に関する特別委員会で、小泉首相自身が以下のような発言をしている。この発言は郵政民営化法案が衆議院で通過し、参議院での採決が行われる前のものである。少々長いが、中略をせずに抜粋する。「当時の自民党の三役も含めて幹部ほとんどは(郵政)民営化に反対でした。今でも、ほとんど反対とは言わないけれども、多数は賛成に変わったけれども、私が総裁選挙に出たときに自民党を変えると言ったのはそこなんです。この国営でなくても民間にできる実に大きな改革、郵政事業だけはどうして民間にしちゃいけないのか、これだけをどうして国営で維持しなきゃならない(のか)ということを理解できなかったから、私は、自民党を変える、この典型的なものが郵政民営化だと。(自民党を)郵政民営化に賛成させる、それが自民党を変えるという趣旨なんです。だから、これを変えないんだったらぶっ壊すと当時言ったんです」[1]。小泉首相は、郵政民営化に対して強い執着を持って政権を運営した。自民党議員の多数が反対した郵政民営化を可決したことは、日本の政治史においては稀である。首相―与党の対立構図が生まれた際に、首相の意思よりも与党の意思が勝ることが少なくないのである[2]。第二次世界大戦後は、自民党が安定的に議席を獲得して政権を担当した。1970年代を過ぎてから、自民党から選出される首相は与党内部の派閥の大きさや当選回数から選出され、閣僚の選出も同様となる人事システムが確立した。党幹部と大臣のポストは出世を意味し、組閣人事は自民党内の派閥抗争の象徴であった。政策は、自民党内部で党内部会から政調審議会へと積み上げ式に上り、最終的な決定は党総務会での全会一致が必要であった。実質的な政策決定が、内閣と首相ではなく、主に事前調整に関わる与党と官僚との間で行われていたのである。これまで与党主導の政治が行われていたにも関わらず、首相の意思が与党を抑えることができたのはなぜだろうか。こうした与党の首相・内閣の対立構造を理解するためには、議院内閣制全体の機能を理解する必要があろう。図0-2(次頁)は、議院内閣制と大統領制の委任・責任・執行の状態を図に表して比較をしたものである。両者とも民主主義の前提である、立法府と社会のチャネル(委任と責任)を持っている。政治制度として両制度に相違が生まれるのは、社会と行政府の関係である。大統領制は社会と大統領の間に選挙による委任と責任関係が存在し、立法府と行政府の関係が分立している。一方、議院内閣制では、社会は行政府に対して直接チャネルを持たず、内閣が議会に対して責任を負っている。この責任関係により、議院内閣制は国民―議会―内閣・首相―官僚と、統治に一連のフローが存在する。図0-2の左図にある大きな矢印が全体のフローを表している。社会が議員を選出し、議員が首相と閣僚を選出し、内閣が官僚を指揮する。官僚が行政を執行し、社会に還元していく。この政策の結果を受けて、社会は次の選挙を行い、評価する。(図表省略)ここで議院内閣制における政権は一つの船にたとえてみよう。首相が船長であり、閣僚が船員らのリーダー、与党議員は船員、官僚が船のエンジンである。波が抵抗勢力であり、これは野党だったり、世論の反対であったりすることがあろう。政権を運営するメンバーが一つの船にのって航海を乗り切るのが議院内閣制である。大統領制では、政権に議会のメンバーが乗ることはなく、いわば、立法府と行政府は別々の船に乗っているような状態である。つまり、議院内閣制の統治システムが大統領制のように分立しておらず一つの船に乗っている以上、与党と内閣の関係は他のアクターとの関係も重要な変数として捉えられるべきであろう。内閣と首相が与党に対してより強力な決定権を持つことは、議院内閣制においてどのような意味を持つのか。有権者が直接選べない首相と閣僚が、政策を運営していく上でどの程度決定権を持っているかについて議論は分かれる。議会優位か、内閣優位か、あるいは両者均衡か、多様な議論がなされる問題である。議院内閣制においては国民が行政府の長を直接選出できない点で、民主的正統性が低いといわれる。したがって、議会制民主主義を重視し、議会に統治の源泉を求める説が日本の学説における多数派であった[4]。この場合、官僚制(行政国家)の発展による議会主義の復権を目指す意味もあった。ただし、行政国家化する現代において「議会主導の復権」という言葉は、しばしば、議「員」主導と混同し、派閥や族議員が内閣と首相の政権運営に障害を与えることがあった。今日、激動する現代の社会経済情勢を鑑みて、現代民主制に則った統治制度のあり方を模索する必要がある。1990年以降「統治の質の向上」が求められ、内閣と首相がどのように機能すべきか議論が盛んになっている[5]。そこで史上最高の支持率で誕生し、自民党を変え内閣と首相のあり方を変えた小泉政権は、現代の統治機構のあり方を考察する上で好機といえる対象であろう。議院内閣制における内閣と首相のあり方を小泉が変えたとすれば、内閣と首相が与党や官僚、国民など他のアクターとの関係をどのように変えたのか。また、この変化が、現代の議院内閣制における内閣と首相のあり方を考察する上で何を意味するのだろうか。本稿は以上の問題意識に基づき、小泉政権における変化を分析することで現代民主制における議院内閣制のあり方を明らかにしていく。小泉政権において、内閣と首相のあり方が変化したことによって他のアクターとの関係はどのように変化したのだろうか。またその変化は現代民主制の統治制度に関する議論に対して何を意味するのだろうか。