私:1978年、著者が高知地検にきたとき、県内の宿毛市長の選挙で高知きっての名家の生まれである林遉という人が勝利した。
高知地検でこの林陣営の選挙違反を摘発しようとした。
ところが、最高検の総務部長が高知地検の次席検事に止めにはいる。
総務部長の甥が林の選挙参謀だという。
A氏:それで著者は摘発を諦めたのかね。
私:逆に、抵抗して逮捕に踏み切り、林市長は辞任。
ところが、林市長は逮捕されず、辞任後に行われた市長選でまた当選し、1978年から2003年まで20年以上にわたり市長の座に居坐り続けたという。
A氏:政治家の圧力も多いだろうね。
私:多いそうだね。
1983年、「金屏風事件」と言って、平和相互銀行が「八重洲画廊」真部俊生社長から「金蒔絵時代行列」という8千万円相当の金屏風を40億円で買う。
真鍋は大蔵省など霞ヶ関の中央官庁出入りの画商で大蔵大臣経験者の竹下登らと非常に近い人物だという。
この絵画取引に関与したのが竹下の秘書青木伊平で捜査の途上に、金屏風の取引で「竹下登へ5億円渡した」とされる走り書きがある「青木メモ」が登場する。
青木はその後、謎の死を遂げる。
ところが捜査が詰めに入ったところで、上から「青木メモ」を忘れろという話が出たという。
最初から政界には踏み込まないという捜査方針があったようなものだったという。
A氏:確か、平和相互銀行はその後、住友銀行に吸収されるね。
私:1986年、三菱重工の転換社債が総会屋や政治家に100億円にのぼる金額がながれたという。
これも検察の上層部から妨害されて捜査は進まなかったという。
1987年、北九州の苅田町で裏帳簿があり、住民税1億1千万円がネコババされていた。
著者が東京地検で前市長の尾形智矩が当時の安倍派から衆院選に出馬していたが、このネコババのカネから5千万円が安倍派の森喜朗事務局長へ派閥の選挙公認料として渡ったようだということが分かる。
ところが、逮捕直前で担当を福岡地検を替えるという事態になった。
これには著者は激怒する。
「天の声」である。
後に著者が安倍派の顧問弁護士になったとき、ある大物代議士から北九州の片田舎でまだ検挙もされていない事件が中央政界では評判になっていたということを聞く。
結局、この事件はうやむやになる。
当時の中曽根首相は清和会の安倍晋太郎と経世会の竹下登を後継者として競い合わせながら政権を維持していた。
だから、安倍派の重鎮である森喜朗にネコババした税金が渡ったということになって失脚すれば、中曽根にとっては政権基盤のパワーバランスが崩れる、検察上層部はそれを憂慮したのではないかと著者は推測しているね。
この事件がつぶされた2ヵ月後の1987年8月に著者は東京地検に辞表を出す。
同年12月に退職した。
検事生活17年目のことだという。
A氏:昨日発売された「文藝春秋」12月号には、11月号に続いて著者と立花隆の対談第二弾が「特捜検察の正義と病巣」というタイトルで載っているね。
11月号は弁護士になったときの話題が中心だったが、今月号は、特捜検事時代の話がメインだね。
私:この対談では国策捜査の話が出ているね。
著者はここで、東京地検特捜部の手がける事件はつねに国策捜査だと言っているね。
政官界をまきこんだスキャンダルを扱えば、国の根幹にかかわる部分に配慮するし、事件として扱うかも「国策」だという。
その特捜の思惑を通すには、事実をねじ曲げることも厭わないという。
A氏:立花氏は、この対談で、90年代後半のバブルの時代の終わりから、特捜部のあり方が経済事件に力を入れるようになるという。
特に04年に松尾邦弘氏が検事総長になって以降、顕著になったというね。
コクドの堤義明、ライブドアの堀江貴文、村上ファンドの村上世彰は、10年前だったら見逃されていただろうという。
私:これも無罪無き国策捜査かね。
明日は、著者の弁護士時代の話をして終わろう。