私:韓国では独島(トクド)、日本では竹島の領有権問題が日韓4つ目の紛争だね。
この本を読むと、お互いの言い分を詳細にまとめているが、それを読むと、俺は昔からどちらの領土であったのかは、あまり意味のない議論のように感じたね。
そもそも、昔は領土という意識が薄かったせいもあるね。
これも近代の「国民国家」を意識してからだね。
その前は、広い日本海に浮かぶ小さな島なんで地理的にハッキリしない点があるね。
竹島から少し離れたところに、朝鮮半島寄りに、鬱陵(ウルルン)島という島がある。
俺はこの本を読んで始めて重要な島だと分かったね。
この鬱陵島の近くにまた小さな島があるらしいので、古い記録は、その島と竹島とを混同しているようなものがあるらしい。
A氏:「国民国家」意識になると領土の境界と民族主義がきびしくなるね。
先日、NHKのトルコのほうのドキュメント映画を見ていたんだが、トルコの近代化で「国民国家」になると、今まで、地域社会として隣同士で助け合っていたキリスト教系の人とイスラム教系の人が反目するようになるんだね。
私:実は、著者の着眼点も似ているね。
竹島は岩だけの人が住めない島だが、「国民国家」時代になって、国の境界として問題になっている。
ところが、視点を鬱陵島に移すと、ここは古くから人が住んでいる島だ。
1800年代末には同島に、朝鮮人だけでなく、日本人が住んでいたということだ。
1882年の調査では、朝鮮人が140名、その82パーセントを全羅道出身者が占めていたという。
A氏:全羅道は黄海側だね。
日本海側は慶尚道ではないの?
私:著者は、全羅道の人々が構造的な差別と排除の対象に選ばれていた可能性があるという。
流人の島だったのかもしれないね。
ところが、同時にこの島には78名の日本人が暮らしていた。
1990年代になると同島は朝鮮人の戸数450に達し、日本人はその数300で純然たる日本人町を形成していたという。
1900年にも日本人男女が144名暮らしていたという。
結局、その後、彼らは日本に送還される。
A氏:さっきのトルコの例のように、「国民国家」としての境界がまだ、不確かな時代の自然な姿だね。
それが分裂して、親しかった隣の人が別れていくことになるね。
私:1952年、韓国は一方的に李承晩ラインを敷く。
これにより、日本船230隻が拿捕され、3隻が沈没、韓国から返還されない船は173隻に及び、船員は2791名が抑留、5名が死亡する。
「近代国家意識」はこういう争いを結果として生む。
著者は、この独島問題は、境界として扱わず、日韓共同領域にすることを提案している。
これは国際的に前例のないことではなく、モロッコとスペイン、アメリカとカナダ、英国とスペインの間で領土紛争をそのようにして解決した例があるという。
著者は言うね。
「近代国家の愚かな領土争い、それゆえにあこがれていた西洋-アメリカの軍事介入支配下に入ってしまった哀れなアジアの人々、軍事主義と冷戦の生贄の羊となった彼らのための、象徴的な空間となるべき必要が独島にある」
A氏:両国が領土で争っているうちに、世界は国境のない金融資本が世界をかけまわる「新帝国主義」のグローバル時代に入ってきたね。
1997年にタイから始まった国境なきマネーの動きによるアジア通貨危機に韓国は大きな被害をこうむった経験がある。
韓国も日本も貧富の格差が拡大し、少子化、人口減もアジアの先頭を走っている。
私:おたがいに罵り合っているうちに、自滅しないように共同して知恵を出すことが必要だね。
A氏:今朝の新聞で次期大統領は「謝罪をもとめなくても成熟した外交できる」と言っているね。
盧武鉉大統領の4年間は不毛だったね。
私:今度の李新大統領に期待したいね。