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2015.05.14
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A司馬氏は、ノモンハン事件をテーマに昭和の陸軍が行き着いた姿を描こうとした。

 文芸春秋の編集者だった半藤一利氏は70年代初頭、「司馬さんから『ノモンハンを書きたい。手伝ってくれるか』と頼まれた」と語る。半藤氏は、26連隊長として事件を体験した須見新一郎氏を紹介し、最初の取材は長野県の須見宅まで同行もした。

 

:だが、敗戦時に陸軍の関東軍参謀だった瀬島龍三氏と「文芸春秋」(74年1月号)で司馬氏が対談したのを理由に、司馬氏は須見氏から絶縁された軍幹部の愚劣さに苦しんだ須見氏には、元参謀と対談した司馬が許せなかったという。

例えば、ノモンハンで関東軍の作戦主任参謀だった服部卓四郎417大本営作戦課長に、関東軍参謀だった辻政信423同課作戦班長に就任ガダルカナル島の作戦を指揮した。
 物資の輸送能力を考慮せず損害を広げたノモンハンの失敗が拡大再生産され、島は「餓(ガ)島」と呼ばれ、島での死者約2万人のうち、約1万5千人が餓死か病死とされる。

 

Aノモンハン事件から何も学んでいなかったのだね。

 

司馬氏が苦しんだのは、取材先との関係より、この国が抱える構造的な何かだったのではないか。執筆の見通しを尋ねた半藤氏に、司馬氏は「その話は一切しないでくれ。ぼくがノモンハンを書くとしたら、血管が破裂すると思う。当時の日本陸軍のトップの頭の悪さと、国家保全への感覚のなさに、精神衛生が悪くなってしまう」――。

司馬氏は対談や随筆でそう繰り返し、長編小説で「昭和」を描くことはなかったね。

 

A962司馬氏は死去。半藤氏は霊前で合掌し「私が書きます」と誓った。作品「ノモンハンの夏」が約1年後に完成した。

半藤氏はこの本で「ノモンハン敗戦の責任者である服部・辻のコンビが、対米開戦を推進し、戦争を指導した全過程をみるとき、(中略)人は過去から何も学ばないことを思い知らされる」と結んだ。

 

司馬氏は、「坂の上の雲」でも203高地の戦い方の稚拙さで多くの兵士が死ぬことに耐えられず、しばしば呆然となって筆をおいたという。

ましてやメチャメチャにソ連の戦車にやられ多くの戦死者を出したノモンハン事件を書くことは、気が進まなかったのではないかね。






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Last updated  2015.05.14 15:52:10
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