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Ryu-chan6708

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2018.03.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 トヨタ自動車元社長、豊田達郎氏が、2017年12月30日、88歳で、肺炎により死去された。 

 現名誉会長で兄の豊田章一郎氏(93)の後任として社長を務めた。

 

早くから目立った兄の陰に隠れがちだったが、社長交代を発表した1992年の会見では「豊田姓だから選ばれた、という気はない。同族企業と批判されるのは心外」と話した。

 

A80年代、トヨタが米GMと現地に設けた合弁生産の会社NUMMI(ヌーミー)の初代トップを務め、米国への輸出攻勢が招いた貿易摩擦を和らげるため、「トヨタ生産方式」を米国の現地のNUMMI(ヌーミー)の工場に移植したので、有名だね。

 

このNUMMIの工場は、カリフォルニアにあり、フリモント工場と呼ばれ、GMの工場としてはあまり生産性がよくなく閉鎖していたものを「トヨタ生産方式」導入で、再開したもの

 

君のこのブログでも、トヨタ生産方式」が、GMに導入されていく過程などをとりあげた、NUMMI知的街道」ここ数年で下のようにできているね。


「論争 若者論」
「GMの言い・何が巨大組織を追いつめたのか」「新幹線お掃除の天使たち・『世界一の現場力』はどうまれか?」「職場砂漠・きすぎの時代の悲劇」教育・訓練とTWI とホーン実験フリモント工場閉鎖か

 

豊田達郎氏は、NUMMI社長として、米国人従業員との融和に心を砕き、昼食は社員食堂でとり、通勤は自ら運転した

 

専用の駐車場ではなく、従業員と同じ場所にとめて社屋まで歩いた。

 

実は、GM時代は、食堂もマネージャーと労働者は別だったのが、壁は取り払われ、堂のテーブルは大きな丸いテーブルにした。

 

だから、英語が流暢な豊田社長は、自らトレーを持って、一般作業者と同じテーブルで食事をする。

 

これは、GM時代と比較すると、画期的なことだね。  

 

これが、一事が万事で、現場に「トヨタ生産方式」が導入される。

 

A:まず、作業者に自主性を持たせ、問題があると、ラインを止める権限を与えたね。

 Bad News first (悪いニュースを先に)の考えの徹底だね。
 人はとかく、悪いニュースは隠したがって、問題を悪化させる。

 

GM時代に問題があっては勝手にラインを止めたら即解雇だ。


 GM時代は「カイゼン」などによる作業方法の変更は、専門の技術スタッフしかできず、現場職長は決められた作業方法を監視するだけだったのを、職長に改善を考えるように義務づけるね。

 

皆、「トヨタ生産方式」の基本だね。

 

:この結果、GMの工場の作業員が1台のクルマを組み立てるのに平均で35時間かかるのに、「トヨタ生産方式」が定着したNUMMIでは20時間しか必要としなかったという。

 

 また、GM時代に出勤率が75%台だったというのが、95%台になる。

 

1990年頃だと思うが、俺はアメリカの産業教育大会視察団に参加して、米国に行ったことがある。
  

当時は、日本の製造業は米国を制覇していたね。

 

日本視察団が参加した大会では、米国企業のいろいろな成功例を分科会で発表していた。
 

はその中で特に気になっていたNUMMIのフリモント工場の画期的な生産性向上を果した発表をしていた分科会で話を聞く機会を得た。

 

「トヨタ生産方式」を導入し、すでに10年位たっていたね。


 1986年頃には、すでに、GM時代と車種が違うのだが、ほとんど同じ設備と労働者で、5割近い生産性向上を達成したとしてしたということで有名になっていたね。

A氏:君がその分科会で聞いたというのは、その成功発表分科会かね。

 

:成功したことは、すでに日本でも有名になっていたので、米国人の生の声を聞きたかったのでその分科会を選んだんだね。
 

同時通訳はつかなかったが、すでに内容的には知っているし、説明に使うプロジェクターなどで活字で分かるので、英語は大体は分かった。
 

発表は白人のインテリが中心に行うから、英語もオーソドックスだしね。
 ところが、通訳なしで問題が起きた

 

現場の黒人職長が発表したんだが、この英語がまったく分からない
  黒人訛りの英語なのだろうね。
  

ところが、その英語の中で、はっきり意味の分かった英語があった。
 それは 
   I was a number in GM. Now I am an employee

  という言葉だね。
  

訳すと、「俺はGM時代は『数』だった。今は俺は『従業員(人間)』だ
ということかね。

 幸い、カセットテープに録音していたので、ホテルに帰って同時通訳の人に聞いてもらい英文にしてもらうように依頼した。
 

ところが、この同時通訳の人は、黒人訛りに悩まされ、3回もテープを聞き返したという。
 そしてようやく英文にしてくれたよ。

 

A「トヨタ生産方式」で、今までが他人が決めた作業方法を守るだけだった現場に自主的な「カイゼン」が始まる。

 

要するに、職場に働く人の頭と手足が一体になる。

私:しかし、「トヨタ生産方式」の中心は、トヨタのオリジナルが多いが、その根底にある提案制度や「カイゼン」による従業員の参加意識の向上思想は、実は、敗戦直後、フォードに自動車の技術を学びに行った2人のトヨタマンが、フォードから持ち帰った思想だね。
 

それが「カイゼン」として日本で花が開く。
 

その基本思想が米国にまたもどったというのは、皮肉だね。

 

A:だが、その「カイゼン」が、「失われた20年」で日本の職場で消えて「長時間労働」「ブラック企業」などが問題化しだしたね。

 

民間だけでなく、「森友学園」問題をめぐる「文書かいざん」問題をブログ「公文書改ざん、行政の責任は 憲法と公文書運用の視点から再考」でふれたが、官僚がムダな文書づくりをしており「カイゼン」と個人の「自主性」が必要だね。

 

A豊田達郎氏の米国の地元に溶け込んだNUMMIの体験は、その後のトヨタの世界展開に生かされた。

 

トランプ政権下の米国は保護主義に再び傾き、トヨタは難しいかじ取りを迫られているが、1日のお別れの会で、「トヨタを米国の人々に愛される会社にする夢をおじは見ていた」と豊田章男社長(61)は故人をしのび、「夢は現実になった」と締めくくったという。






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Last updated  2018.03.18 23:08:56
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